【ACt7】Its a BEAUTIFUL FRIENDSHIP

西園寺高校の今年の入学者は全部で百七十八人。一学年一クラスの約三十人編成で、計六クラスから成り立っている。

 

うちの学校では体育の授業だけ二クラス合同でやるので、オレ達5組の生徒は6組の生徒と一緒に授業を受けている。

 二クラス合わせて全部で約六十人と、結構な人数になるわけだけど、一学期は、バスケ、テニス、バレー(勿論ダンスではなく、ボールの方)の中から、各々自分がやりたいものを選ぶ個人選択制だ。その三種目の中で、オレが何も迷いも躊躇いも無く、他の選択肢なんて予め存在しなかったように当然の如く選んだのは、勿論バスケだ。

何故かって?理由は至極簡単、単純明快。

オレは中学の時、バスケ部員だったからだ。

 

 

バスケットボールという球技は、概ね世間一般において、身長重視の傾向にある。背が高くないと圧倒的に不利、もっと辛辣に言えば、背の低い奴はいるだけ無駄。

不運な事に、努力だけではどうにもならない身体的な要素で恩恵を授かれなかった者は、足手まといの存在価値無しにあっさり認定されるという、おかしな常識が罷り通っているらしいが(無論、そうでない場合もある)何でもただ大きければいいってもんじゃないだろう。

 ……別にオレの身長が平均以下だから言うわけではなく、勿論有利な部分があるというのは否めないけど(これは断じて負け惜しみとかではない……と、思う)背が低いことで色々小回りだってきくし、小さいからこそ出来る技だってある。

要は、身長よりも運動神経が良いかどうかだ。もしくは、反射神経、とか。

その証拠に、中学時代でも今と変わらず身長にはさっぱり恵まれていなかったオレは、自慢じゃないが(と、こういう前置きを置く時点であまり説得力がないけど)一年の時から三年間、一度もレギュラーから外れた事がない。

それは、うちのバスケ部がよっぽど弱小で、たまたま他に良い人員がいなかっただけなんじゃあ……などと失礼な事を考えた、そこの君!それは大きな間違いだ。
 オレの通っていたE中のバスケ部といえば、この辺りではかなりの強豪で、オレが副キャプテンをしていた三年生の時には県大会で準優勝という輝かしい経歴もある。

 

ほら、今だってオレより軽く十センチは背の高い、ついでに横幅も十センチ以上ある小太り体型の奴が、目の前でぬりかべのようにヌボーッと立ちはだかって無謀にもオレの行く手を阻んでいるのを、

『はいはい、どうもごくろーさん』

と、心の中で渇いた労いの言葉を掛けて、颯爽と通過した。

そのまま前に行くと見せかけて、数回フェイントを入れながら左に抜いていく。背が高くても動きが嘘みたいに鈍いので、はっきり言って楽勝だ。

チョロイもんです。センエツながら。
 そのままドリブルを続けて前方に進むと、ディフェンスが左右に一人ずつ、まるで金魚の何とかみたいにピッタリくっついてくる。
(何だよ、ったく。夏だってのに暑苦しいな……)
 逆正三角形の中で一人、どうしたものかと逡巡していた所。
 目の前いる二人の足の間に、僅かな隙間が出来たのを見逃さなかったオレは、素早く視線を左右に動かした。

後方に目当ての人物がいるのを確認すると、敵さん二人に気づかれないよう、瞬き一回程度のアイコンタクトを意中の相手に送り、すぐさまその隙間に、躊躇無くバウンドパスでボールを通した。
 次の瞬間、ゴール地点に向かって一気にダッシュをかける。
 ボールの行方を見る事も無く、自慢の俊足(これは、はっきり自慢と言い切ってしまおう)を活かしてリング下まで辿り着くと、すぐに律の「悠、左!」という掛け声と共に飛んできたパスが掌に収まった。
 オレは左利きなので、右よりも左サイドからの方がシュートの成功率が高い。それを見越しての計算された絶妙なアシストに、是非ともお答えせねば。
 スリーポイントのラインよりも少し内側の位置から、頭上のリングに向かって、とうっ。ジャンピング、シュート!
 緩やかなカーブを描いて、網の中をボールが迷うことなく、真っ直ぐに突き抜けて行った。
 ―――イェア!
「ナイッシュー!」
「悠生、ナイスっ!」


 そう、バスケは決して身長だけが全てのスポーツじゃない。
 オレの個人的意見かもしれないけど、身長が低くても運動神経が良ければ、結構いい所までいけるもんだ。
 あとは、それぞれの個性に合った役割を担う事も肝心(律みたいに身長が高くて、スピードもあるしパワーもそこそこ持ってるなんてオールラウンダーな奴は別として)。

オレみたいに足の速さには自信があって敏捷性には優れているけど身長はあまり高くないという奴は、主にポイントガードのポジションに入れば自分の持てる力を充分発揮できる。
 逆に身長はあるけれど、いまいち動きの鈍いパワー溢れるマッチョ体型の奴(先程オレの行く手を阻もうとした、役立たずのぬりかべがこれに当て嵌まる)はセンターが適役だろう。敵との接触が多いリバウンドの奪い合いに、他にあまり使い道がなさそうな、無駄にある筋肉がきっと大活躍だ。
 そして何と言っても、一番大事なのはやっぱりチームワークですよ、うん。

バスケは一人じゃ出来ないんだから。

 一緒に戦う仲間との協調性が、何より重要なんだと思う。一人の突出した力より、仲間全体の総合力が問われるゲーム。それぞれが自分の良い所を出しあって、阿吽の呼吸で一つのゴールに向かって力を合わせる。

これぞ即ち、 バスケットボールの醍醐味ってやつだ……!


「ナイス、ひめ―――っ!」
「ひめ、おうじ、さっすが〜っ!」
 次々に掛かるチームメイトやギャラリーの声援にまじる、例の禁句ひとつひとつに『うっせえ、ひめって、ゆーな!』と律儀に言い返していると、先程の得点の立役者である律がやってきた(ちなみに律はオレが準優勝だった時の、県大会優勝校であるW中の元バスケ部キャプテンだ)。
「お前さ。碌に寝てないのに最初っからそんなに飛ばして、後半もつわけ?」
 さっきの走りで僅かに乱れたオレの前髪を人差し指と親指で軽く梳いて整えた律は、皆の様に称賛の言葉を口にする事もなく、眉を顰めてそう言った。
「あぁ〜……まあ大丈夫っしょ。つーか寝てないから逆に、テンション高め?みたいな。むしろこれくらい動いてないと、意識が遠くなりそう」
 試合に集中している時はいいけど、今みたいにただボケッと突っ立っている時間の方が眠気が襲ってきて辛い……
 ショボショボした目で得点ボードを見ると、現在24対8で今の所5組が優勢。このうち七割はオレと律がシュートを決めた点だ。オレらって、働き者。ついでに今までバスケで6組とやって負けた事は一度もないので、このままの調子でいけば今日も順当に勝つのだろう。
(6組相手だと楽に勝てるのはいいけど、たまには、他のクラスとも対戦して……みたい、な……)

……あ。何か今眠気の波が急に襲ってきた。

まずいまずい、しっかりしないと……

 うとうとしかけた所に、ピッ、という笛の合図が鳴り試合が再会される。うちのクラスのゴールで終わったので今度は敵チームからのボールでスタートだ。
「このペースでいくと後から一気にクるから、もうちょっと抑えとけ」
「え〜っ。さっきは、思いっきり行け!と言わんばかりのパス、寄越したくせにぃ……べっつに、これくらいぜんっぜんへーきだもーん」
 体育はテニスを選択しているため、ここにはいない章太のゆるゆるな喋り方を真似して、ちょっとごねてみる。
「あれはお前が何も考えずに急にパス飛ばしてきて、さっさと行っちゃうから、仕方なくだろ」
 オレと律は雑談を交えながら、さっきのお返しとばかりに6組の金魚の何とか君にとことんひっついてやったら、数秒とかからずにボールの奪取に成功した。
「考えてるって、一応。それにちゃんと届いてんだからいいじゃん。このボールに込めた、目には見えないオレのココロのテレパシーがっ」
 予め決めていたわけでもないのに、不思議とオレ達はお互いがパスしたいと思った方向に必ず相手がいるんだ。

他の奴じゃこうはいかない。これってやっぱり血の成せる業?それとも―――
「目に見えない電波キャッチするのは神経使うんで結構大変なんです……っと」
 律は口を動かしつつ視線を前に向けながら、果敢にも立ち向かってくる三人の敵の攻撃を難なくかわして、ゴール下にスタンバッていたうちのチームの一人に長めのパスをした。
「あー……あれは外れるな、多分」
 ゴールに目を向けると、律の宣言通りロングパスを貰った奴の放った強引なレイアップシュートがバックボードの右側に当たって、見事に外れた。あ〜あ。
 オレは律の隣でその様子を呑気に眺めていると、一瞬目に映るその光景がぼうっと霧がかかったみたいに白く霞んだ。

(……あ、れ?……何かリングが二重、いや三重に見えるぞ)

さっきまではっきり聞こえていた周りの声が、急に音量を落とされたテレビみたいにだんだん小さくなって、音の無い映像だけになっていく。 敵、味方入りまじって皆が一斉にこっちに走ってくるのが見えた。だけどオレは一気に全身の力が抜け、真っ直ぐ立っていられなくなって、ゆっくりと身体が後ろに傾いていく。
(……あ。やばい。オレ、倒れる……)
 そう思った瞬間、背中に回された力強い腕がオレの体重を支えるのを、薄れていく意識の中でおぼろげに感じた。 

そしてひどく驚いたような表情の律が何か叫んでいるのを薄目で見たのを最後に、そのまま意識は電源が切れたように、プツッ、とフェード・アウトした―――

 

 

*****

 

 

 ……暗闇の中で静かに目を開けると、辺り一面霧に覆われたように薄暗くて周りが良く見えない。ボーッとする頭を両手で抱えて息を潜めながら目を凝らしていると、細くて先の見えない道が一本あることに気づく。
 後ろを振り返ると、やっぱり前にあるのと同じ、どこまで続いているのかわからない細い道が一つ、そこにあるだけだった。
 暗然とした面持ちで前後どちらに行くかという二者択一を迫られたオレは、来た道を元に戻っても仕方ないだろうし、ここはやっぱり前進あるのみ、という結論に達した。

行き先(この場合、行く方向というべきか)が決まったからには膳は急げとばかりに、前に向かってひたすら足を動かす。歩く、というよりはただ自分の脳が命じるままに身体を前に向かって動かしているという感じで、そんな自分をもう一人の自分が俯瞰しているという、まるで幽体離脱でもしてしまったかのような、実に奇妙な感覚を味わっていた。
 ここは一体何処なのか、果たして自分は何をしているのか、普通はまず疑問に思うはずなのに、そういう論理的思考とは無縁な世界に今、オレは存在している。

―――つまり、これは夢の中の出来事なのだ。
 通常夢というものは、目が覚めてからはじめてそれが現実では無かったと認識出来るのものだけど。

たまにこんな風に、あれ、これって夢かな?と思いながら夢を見るという、例えるなら、自分が主役の映画を遥か遠くの客席から見ているような気分、とでもいうのかな……そんな体験を極まれにする時がある。

恐らく、今がまさにその状態なんだろう。

別にその夢を都合良く操作できるわけでも、無理やり終わらせて目覚めることが出来るわけでもないから、だからそれがどうした、って感じなんだけど。
 たとえこの夢の中で、オレがどんなに酷い目に遭おうが、恐ろしい事が起きようが(もちろんその逆の、どんなに楽しくて良い出来事も)それらは全て夢であって現実ではないのだから、何も恐れる事は無い。


 暗闇の中、どれくらい歩いたのか夢の中の曖昧な感覚ではよくわからなかったが、ふと横を見ると、いつの間に現れたのか隣に律が立っていた。その表情は視界がきかないせいではっきりと窺い知る事は出来ない。

無言で闇を見据えている律はおもむろに腕を上げると、人差し指で前方を真っ直ぐ指差した。その方向に目を向けると、今まで一本だった道が左右二股に分かれている。
 また、二者択一か……右と左の、どちらに行くべきか。

今度はさっきと違って律がいる。こいつはどうするんだろうと横を見上げたら、律は既に道に向かって歩き出していた。
『え、ちょっと待てよ、律っ!』
 慌てて呼び止めたけど、オレの声なんか全く聞こえていないみたいに先に進んでしまう。
『律。りつってば!』
 急ぎ足で何とか追いついたオレは、下から律の顔を覗きこんだ。

「……え」

その時初めて、律が今まで自分が一度も見たことのないような、何の感情も感じられない、決して自分に向けられる事の無かった凄絶なまでの無表情でいたことに気づき、オレは息を止めて戦慄した。

律の腕をがっちり掴んでいた筈の手から思わず力が抜けてしまう。驚きに目を見開いているオレに、律は一瞥すらない。ただ前を向いたままひたすら無言だ。

嫌な予感に胸が不安で一杯になりながら、小刻みに震えている両手で律の腕を掴んだら―――

(―――!)

律はオレの手を、はっきりと拒絶するように、振り払った。
『り、つ……?』
 ただそれだけのことなのに、左胸の辺りに鋭い矢が刺さったようにズキリと痛みが走る。右手で胸の上を強く押さえると心臓が凄まじい勢いでドクドク鳴っていた。
(あれ、オレの心臓一体どうしたんだ……)
『律……』
 呆然としながらオレが名を呼んでも、再び歩き出した律は相変わらず前を向いたままで、答える事はない。
『おい、律っ!聞こえてんだろっ?こっち向けよ!』
 どんどん遠ざかっていく背中を見ながら、オレは夢中で律の名を叫び続けた。見えない血が大量に噴き出しているんじゃないかと思うくらいに、胸の痛みはどんどん酷くなる。
(なんだよこれ、どうすればいいんだよ。なあ、律ってば!)
 息まで苦しくなってきて、叫びたいのに声が出せない。律はそのまま前に進んで分かれ道の所まで来ると、迷う事なく右側の道へ向かって歩き出した。
『……待てってば、律っ』
 オイテイカレテナルモノカ、と痛む胸を押さえながら必死で律の後を追って、何とか分岐点の所まで辿り着く。

「……り、」

再び声をかけようと口を開きかけたら、それまで一言も喋らなかった律が急に足を止めた。そしてオレの言葉を遮るように、とても静かな―――冷たい声で、
『……来るな』
そう、一言だけ、拒絶の言葉を放った。
(……!なんだよ、来るなって、律!)
 得体の知れない熱いものが胸に込み上げてきて、その熱さに我慢出来なくなったオレは、律のいる右側の道に向かって走り出していた。
『お前は来るな……向こうの道へ、行け』
 表情の見えない律が背中越しにそう言った瞬間、目の前の道に黒い霧が漂い始めて、律の姿がどんどん薄れていく。
(なんでオレはそこへ行っちゃ駄目なんだよ!オレもお前と一緒に行くっ!)
 靄は一瞬で視界を覆い、律の姿どころかさっきまで確かに存在していた道までも覆い隠してしまった。
『律、待てよ!おいっ』


 ―――暗闇の世界で、返ってくる声はどこにも無くて。
 たった一人残されたオレはどうすることも出来ずに、その場に膝から崩れ落ちた。

 

 

*****

 

 

(なんで、どこいっちゃったんだよ、ひとりにすんなよっ!りつのばかばか!)
「だから、待てって、言ってんだろ―――っ!?」
「さっきから、じゅうぶん待ってるけど」
(―――へっ?)
「あれ……り、つ……?ほんとに、お前?」
「何寝ぼけてんの……まったく、やっとお目覚めですか、姫」
 憎たらしいくらいに整った顔が、急に開けた明るい視界に入ってきた。
(え……?ここ……ふと、ん?)
 どうやら横になって寝ていたらしい。

ベッドの脇にある椅子に座っていた律は、立ち上がって上からオレを覗き込むと、いつものように軽い口調で揶揄しながら、いつもよりも優しい手つきでオレの前髪を梳いて、宥めるように頭をポンポン、と撫でた。
「今、何時?オレ、どうしたんだっけ……?」
 ここどこ、という疑問は今自分が寝かされているベッドを見ても分かるように、聞くまでもなく学校の保健室だという事がわかるので割愛する。
「お前、体育の時間に試合開始早々倒れたんだよ。原因は多分睡眠不足だろうけど、大変だったんだぞ。普段風邪ひとつひかない、元気が取り柄の健康なお姫様が急に倒れたって、皆大騒ぎ」
「……ああ、そーですか……何だ、夢かあれ。びっくりしたなぁ、もう……」
 思わず布団の上に突っ伏して、深い溜息を吐き出した。

何か、すっげー嫌な汗かいた……まったく、真夏に見る夢なんて碌なもんじゃない。
「少し魘されてたな。怖い夢でも見たのか?」
「怖いっていうか……うん、まあ。最初は夢だってわかってたんだけどな……」
 途中からそんなの綺麗さっぱり忘れてた……でも夢なんてそんなものか……
「あ、それで今何時なんだよ」
 よいしょ、と少しだるい身体を前に起こして大きな欠伸を一つすると、左右の肩の骨をパキッポキッと軽く鳴らした。
「既に放課後」
「ええーっ!ま、マジで?!」
 だって体育があったのって確か一時間目じゃなかったか?何時間寝てたんだよ、オレ!
「……なわけないだろ。まだ四時間目終わったとこだよ」
「なんだ、そうだよな。あーびっくりした」
 それでも三時間以上は寝てたってことか……
「もう昼だから、そろそろ起きると思って迎えに来たらお前まだ寝てるし。まちこちゃん、オレに後頼んで昼休憩行っちゃうし」
 律にオレの世話を押しつ……任せて、しっかり自分の休み時間を確保したまちこちゃんとは我が西園寺高校の保険医だ。 

男子ばかりのこの学校で(男子校なので当たり前か)数少ない独身女性の一人である。

男子校、保健室のせんせい、独身女性、おまけに密室……単語だけ聞いてるとつい、如何わしい事を想像しそうだが、現実はTVドラマや小説みたいに、そうそう頻繁に禁断の恋なんぞ生まれるわけが無い。
 田中町子、西園寺高校専属保険医。四十五歳……らしいが、これはあくまでも自称なのであしからず。本当は、そうだな。推定年齢、ここだけの話四十七・八歳辺りじゃないかと。

まあ別にオレは何歳でもいいんですが……女の人にとって、この二・三歳の差はとてつもなく大きいらしい(母曰く)。

勤続年数十二年の大ベテラン、ちょっと(と思うかは大分個人差がある)ぽっちゃり体型の明るい人だ。

余談だけど、彼女は生徒から『先生』と言われるよりも、名前で呼ばれる方が好きだというので『まちこちゃん』と皆から親しみを込めて呼ばれている。この人も例にもれず律の事がとてもお気に入りらしい。まったく、この年上キラーめ!

 

……と、それはさておき。まだ寝起きで少し頭がボーっとしているけど、結構寝たから楽になったな……
「……で、しょーがないからお前が起きるまで待ってたんだけど」
 律はベッド脇のテーブルに置いてあったオレのお気に入りのメーカーの缶コーヒー(勿論ブラック)をオレに向かって放り投げると、自分は砂糖入りミルク増量の、別メーカーのコーヒーを開けた。

眠気覚ましにはやっぱりカフェインが一番だ。

(しかしこういうトコ、ほんっと気が利くなぁ、こいつ……)「着替えて、食堂行くぞ。章太を含めお前の取り巻き連中が首ながーくして待ってる」
 ベッドの淵に腰掛けて両足を意味も無くブラブラさせているオレに、律は着替えの制服を差し出した。

「ん……」

それを受け取る時にふと目に入った、律の長くて繊細な指をじっと見つめる。

「…………」
 暗闇の中、振り払われた時の腕の感触と、拒絶の言葉を聞いた時の記憶が急に甦って来て、オレは思わず夢でしたのと同じように両手で恐る恐る律の腕を掴んだ。そのまま下から見上げるような形で、表情を伺ってみる。

少し不思議そうな顔をしていた律は、オレの顔を見るなりフッと表情を和らげた。そしていつもギャラリーに振りまいているような嘘くさい愛想笑いではなく、素に戻ったありのままのやわらかい笑顔を、空気のように自然に向けた。

慈愛の滲んだあたたかい眼差しと、制服越しに伝わってくる温もりが―――今、ここが夢の中ではない事をオレに認識させてくれる。
「……悠?やっぱりお前、怖い夢見たんだろ」
「……別に。何で」
「一人ぼっちで迷子んなって、どうしていいかわからない、って。途方に暮れた子供みたいな顔、してる」
(それはだって……お前が、待ってくれないから……オレをおいて、一人でどこかへ行っちゃうから―――)

思わず出掛かった言葉を寸での所で飲み込むと、オレは律の腕を握り締めたままベッドから勢い良く飛び降りた。
「……夢の中に、セミが出てきたんだ……」
 他に言う事が思いつかなくて適当な事を言ったオレに、

「……そっか。悪い夢は人に話すといいんだって。だから、もう大丈夫だ」

いつもならこういう時、絶対馬鹿にするか嬉々としてからかうくせに、そんな素振りは全く見せずに律はあいている方の手で優しくオレの頭を撫でてくる。

「……うん」

未だ子供みたいに律の腕を掴んで離さない、オレの両手が振り払われることは無い。

 

探していた親をようやく見つけた時のような安心感が、胸の中を波のように満たしていくのを感じながら、オレは律に気づかれないようにそっと、悲しみではない、安堵からくる溜息を吐き出した―――

 

 

【ACT7】END

                       2014/10/27 up