「悠ちゃんせんせいおっまたせ〜っ!ごめんねェ、いつもみたく今日もカズ君が大幅に待ち合わせ時間オーバーしてくれちゃってさあ……まったくまいっちゃうよね!」
「あ、う、うん。だな。ほんっと困るよな!」
本日の遅刻の元凶に対して正当な不平を零す章太に、オレは笑顔で同意しつつ、一彦とは全く無関係の別件において、今物凄く困っていた。
(―――だって、手が)
未だに繋がれたままの状態絶賛続行中、だったりしているので。
あれからどうしても自分から手を離すことが出来なくて、むこうから離すのをひたすら待っていたら……結果、オレ達の手は片時も離れることなく、ずっと仲良しのままだった。
でも二人きりならともかく、知り合いの前でこれはさすがにちょっとまずい。章太に気づかれないうちに離さないと。
大きくてあたたかい手の感触を名残惜しく思いながら、こっそり繋いでいた手を外そうとした……んだけど。
(……ちょっ、え……っ)
絡めていた指を解く事を阻むように、手を強く掴まれて、心臓が大きく跳ねる。ほんの僅かでも離れる事を許さないと言わんばかりに、きつく握り締められた掌。指と指が隙間無く重なり合って、手を離すどころか指一本動かせない。
(……な、何だよ……手、離すなって、こと? )
目線で素早く問いかけると、律は「そうだ」というように口元に笑みを浮かべて、繋いだ手にグッと力を込めた。
「……っ」
ほんのちょっと笑いかけられて、ほんのちょっと強く手を握られただけ。
ただそれだけの事で、馬鹿なオレは不謹慎にもときめいてしまって、馬鹿すぎるオレの心臓は勝手に早鐘を打ち始める。おまけに顔まで赤くなってきたみたいだ。どうしよう。
狼狽しているのを悟られたくないから、顔には極力出さないようにしてるけど、内心焦りまくりだ。
赤くなってしまった顔を隠すため、下を向いて意味も無く地面を見つめる。罵倒の言葉を紡ぐかわりに、律の足元に軽い蹴りを入れてやった。
(……章太がいるんだから、これはやばいって!)
―――恥を忍んで白状してしまえば、オレだって本当は、その……手ぇ離しちゃうの凄く勿体無いとか、もっとずっと繋いだままでいたい、なんて思っている。だから章太が来る前も、来るとわかってからも、そして来てしまった今でも、自分からは離せなかった。
(でも律は違うだろ?……なのに、どうして)
律が何を考えてるのかさっぱりわからなかった。だけど、オレの手を離す気が微塵もないらしいという事は、ハッキリとわかる。ただそれを嬉しいと思いながらも、今は喜びよりも困惑の方が勝ってしまうのが実情だ。だってやっぱり人前(しかも同じ学校の友達だ)でこれは絶対、駄目だろ。
意を決してもう一度律の手を外そうと試みる。が、離そうとすればするほど、それを阻止しようと律の手にも力が入るので、どうにもならない。
顔を上げたオレは律に向かってガンを飛ばす勢いで「いい加減に手、離せ」と視線のテレパシーを送ってみた。
……ところがしかし。
(は……え?何で、シカト?こら、律っ!)
さっきはちゃんと通じたっぽいのに、今度はオレを一瞥しただけで、手を握った状態のまま章太と話し始めてしまった。
(ちょ……っと、も、どうすんの、これ?!)
「一彦はどうしたんだ?」
「あ、今ね。お詫びの貢ぎ物を屋台でゲットしてるとこー。僕だけ先に来ちゃったぁ!」
「ふうん。朔哉は、一彦と一緒?」
「うん、そうそう。もうちょっとしたら二人とも来るよ〜ん!……ん、んン……?あれぇっ?」
律と話していた章太が何かに気づいたように、とある一点を見つめながら不思議そうな顔をして首を傾ける仕草をした。
その視線は至極当然というか、オレの予想を寸分も違わずに繋がったままの手の辺りにばっちりと向けられている。
(―――うわあ、バレた!速攻バレた!)
超見られてるし!ああもう、馬鹿……お前がさっさと離さないから……!どうしよう、何て説明したらいいんだ?
「いや……こ、これは、あの、つまりその……」
しどろもどろになりながら、何とか章太を納得させられるような素晴らしい言い訳はないかと懸命に考える。
ええと……例えば、一人で歩いていると変な奴に声掛けられるから……とか(実際本当に今日あった事だし)。
でも今は隣に律いるし、手を繋ぐ必要性があるのかっていわれると、全く以ってそんな必要はないな……ううんこれはダメだ、却下。
じゃあ最初に律が言っていた、オレが迷子にならないように仕方なく繋いでいるんだっていう方向に持っていくか?
……いやいや、まさかそんな小さな子どもじゃあるまいし。迷子とか、ないない!不自然の極みだ、無理がある。
どうしよう、本当に困ったな、八方塞がりだ。何かいい案はないものか。
途方に暮れたオレは、横目で隣を窺ってみた。しかしこの逼迫した状況の中で、律はまるでこの話題に自分は無関係ですと言わんばかりの涼しい顔をして、
「それ、ひとくち、ちょうだい」
食べかけのりんご飴をオレの手から奪っていくと、悠然と食し始めた。
(何、その余裕な感じは!)
立場はオレと同じなのに、どうしてお前だけそんなに平然としていられるんだ、何でオレばかりがこんなに焦っているんだ、くそ!しかもそのりんご飴、オレのなんですけど?
我が物顔で呑気に人様の飴なんか食ってないで、お前も何か言えよ……っ!
「うまいな、これ」
違う!何か言えって、飴の感想じゃねえよ、ばか律!この、あほ王子!
役立たずの律を心の中で力一杯罵って、舌打ちしたいのをグッと堪える。仕方ない。ここはオレが何とかして、この場を颯爽と切り抜けなければ……!
「これはその……何ていうか、あのー……」
(ああ〜でも!駄目だ何も思いつかない……!)
「……ど、」
「ど?」
どうしよう!……じゃ、なくて!ええっと!
「ど、どー……ドナドナ、ごっ、こ……?」
(―――って、何だそれ!)
咄嗟にそう言ってはみたものの、自分で発言しておきながら速攻自分でツッコミたくなるとかもう、最悪。意味不明な回答すぎて冷や汗が滲み出てくる。
他にもっといい理由はなかったのか。いくらなんでも下手くそすぎる。何だよ、ドナドナごっこ≠チて。いい歳して、恥ずかしい……!
「それってあの、ある晴れた昼下がりに、子牛が市場に売られてゆくう〜っていう、歌詞も音楽もちょっと悲しい感じの有名なあれ?」
「そう。小学校ん時に習った、歌詞も音楽も哀愁漂ってる、超ポピュラーなやつ……」
『君達を待ってる間、暇つぶしにそれを二人でちょっと実践しちゃってましたー、あはははは!』
……って。なんとも苦しい言い訳だ。苦しすぎて涙が出そうになる。しかも、昼下がりじゃなくて思いっきり夕暮れ時だし、今(や、別にそれはどうでもいいんだけど)。
「……ひとつ質問なんだけど。この場合、悠ちゃんの方が売られていく子牛なの?それともせんせい?」
特にからかう様子も無く大真面目な顔をした章太に淡々と問われて、オレは若干面食らった。何ていうか……さすがは章太だ。何で高校生にもなって(しかも男同士で)そんな事をしてるのかという、極めて有体且つ順当な疑問は華麗にスルーらしい。正直、非常にツッコミ所満載な現状を出来ればあまり深く追求していただきたくなかっただけに、この淡白な反応は非常に助かる。マジで有難いことだ。
それにしても、どっちが子牛って。気になる所がそこなのか。まったくお前と言う奴は―――……
さすがは我らが章太様!(心からの敬意を込めて、ここは二回、しかも様つきで言っておこう)
「ええっと、牛役?あ〜それは多分……オレ?」
(……なのか?やっぱ、そうなのか?)
つーか、牛役が誰とかそんなん元々考えてないし。どうでもいいし!
「あ、そうなんだぁ?……悠ちゃんが子牛なら、僕も一緒に参加したいっ!まぜてまぜて〜!ドナドナごっこぉー!」
(ええっ?まざっちゃうのか!ドナドナごっこ、マジで……)
予想外の展開に唖然としているオレの右手を取って、章太は無邪気に笑いながら自分の手を重ねてきた。掌と掌をあわせて軽く握る、ごくノーマルなやり方で。
五本の指が余す所無く絡み合った左の手と見比べて、ああ、うん……そうだよな、多分こっち(章太)の方が正解。友達同士なら、普通はこういう繋ぎ方だよなあ、と妙に納得させられる。同じ手を繋ぐという動作でも、やり方もしくは相手が違うと、全く別の行為に感じるから不思議だ。
繋がれた左側の方の手だけがやたらに緊張していて、発熱したように熱かった。右側は全然、何ともないのに。あまりにも歴然とした温度差だ。
凄い変な感じ……しかもこれ、客観的に見たらかなり奇妙な光景になってるような気がする(だって男子高校生が三人揃って、仲良くお手々繋いでるとか……普通にありえない。しかもドナドナごっこって。あ、あほすぎる……)。
それに両手が塞がってるいるせいで大きな問題が発生する事に気がついた。
「この状態じゃオレ、何にも食べられなくね……?」
半分形の欠けたりんご飴を黙々と食べ続けている律を横目で睨みながら、ハァ、と溜息を吐く。
律の嘘つき。それのどこが『ひとくち』なんだよ。オレだってまだ殆ど食べてないのに……!くそう。帰りに絶対もう一個買って貰うからな、オレのりんご飴!
心の奥底、色気ゼロの無駄に強固な決意を抱きながら、闇色に染まった満天を仰ぐ。
相も変わらず流れ星不在の夜空には、半身しか無くなってしまったりんご飴とは対照的に、綺麗な円形の姿を留めたお月様が、綿菓子みたいなふわふわの雲の隙間からそっと顔を覗かせていた。
【ACT10.5】END