1【SIDE*Y】
St. ValentineS Day
February 14
―――突然ですが、質問です。
誕生日とクリスマス。
この二大ビッグイベントと肩を並べる国民的メジャー一大行事といえば、さて、なんでしょうか。
まずヒントその一、誰でも大抵過去に一度は経験済み。
次にヒントその二、一ヵ月後の三月十四日にはこの日に関連したイベントが存在する。更にヒントその三、チョコレート。
も一つオマケ、ヒントその四、義理と本命。……って、これだと最早ヒントというより、答えそのものだな。
というわけで、早々に正解を発表したいと思います。
皆様既にお察しの通り、好意を抱く相手にチョコレートを渡して、自分の想いを伝える日。
二月十四日の、バレンタインデーだ。
最近は男性から女性へチョコを渡す逆チョコなんていうのもあるらしいが、とりあえず世間一般で浸透している定番のバレンタインといえば、恋する女子の皆様方(もしくは、バレンタインデーという架空の記念日を作り上げて、チョコレートの売上アップに見事成功したと巷で言われている、世のチョコレートメーカー諸君)の為に存在している日――……
(……で、あってるよな?オレ、間違ってないよな?)
こんな面白味の欠ける陳腐な質問を、是が非でも誰かに確認してみたくなったのには、それなりの理由がある。
「好きです。俺と付き合ってください」
日曜日の午後二時を廻った頃。
突然何のアポも無く家を訪ねてきた後輩は開口一番、挨拶もせずに真顔でそんなことを言ってきた。
「は……?」
「はい、これ」
「え……?」
寝起きだったせいでまだ頭が七割程度しか目覚めていない。
そのせいか今、なにかとてもおかしな事を言われたような気がする。
(げ……幻聴?)
ぼうっとした意識のまま眼前の男を見上げると、にっこりと笑ったそいつはオレの手を取り、小さな四角い箱を渡してきた。
「先輩の好みがわからなかったんで、独断と偏見で選ばせてもらいました。これ、俺の一番お気に入りのやつなんです」
「……は、あ……」
間の抜けた声で返事をして掌の小箱を見ると、包装紙には某有名チョコレートブランドの名前が入っていた。
「あー……、えっと……これって、なに?」
「トリュフなんですけど。甘すぎなくて、美味しいですよ」
「……いや。そうじゃなくって、」
種類とか味は別にどうでもいいんですけど。オレが訊きたいのは、そういう詳細な物品情報ではなく。
「なんでお前が、オレに、チョコレート?っていう、素朴な疑問なんだけど」
一言一言に力を込めて確認するように再度問うと、え?と不思議そうな顔をした後輩は、逆に質問を返してきた。
「今日が何の日か、知ってますよね?……あ、もしかして今寝ぼけてます?もう午後なのに、まだパジャマだし」
「いいだろ別に。日曜だし、自分の家でパジャマ着てたって」
「全然いいですよ。むしろ大歓迎。先輩、パジャマ姿もめちゃくちゃ可愛いですよね……制服以外見たこと無かったんで、結構やばいです」
そう言って足元からオレの全身を値踏みするみたいにじっくりと眺めていき、視線が顔の少し上まで来た時、何かに気づいたように一瞬目を瞠ると、その場所を注視してきた。
(な、なに、じっと見てんだよ……)
不躾な視線に居心地の悪さを感じて、見てんじゃねーよ!と牽制のつもりでガンを飛ばしてやったら、何故かこいつは怯むどころか、目を細めて相好を崩した。
「前髪、寝癖ついてますよ?」
揶揄するように言われて頭に手をやると、すかさず「そこじゃなくて、こっち」と笑いながらオレが抑えている反対側の前髪を撫で付けるようにして頭を撫でてくる。
まるで小さな子供にするようなその仕草が、どうにも癇に障った。ムッとしながら身を捩り頭上にある手を強引に振り払うと、オレは目の前の相手から出来るだけ距離を置くため、さりげなく数歩後ろへ下がった。
……これは別にその、怖がっているわけではありませんよ。
ただ、なんとなく、ね。さっきからしきりにオレの本能が、あまりこいつには近付かない方がいいぞ……と脳細胞に警告を発令しているようなのでね、仕方なく?
「寝癖まで可愛いなんて、小原先輩、さすがですね」
「ハァ……?」
(さすがだのやばいだの、さっきから何を言ってるんだこいつは)
意味がわからない。そもそも一体何しにオレの家にやって来たんだ?日曜日にわざわざ、チョコレートなんか持って。
「……よくわかんないんだけど。これ、誰かの預かり物?」
例えばこいつの(いるのか知らないけど)お姉ちゃんとか妹とか、血縁関係のあるお身内から預かってきましたとか。
はたまた同級生の女の子から、同じバスケ部繋がりの顔見知りってことで、渡して欲しいと頼まれたとか。
(そういうことなのか?)
オレは考えられる中で、一番まともな案件をピックアップして訊いてみた。が、しかし。
「違います。どうして俺が自分の好きな人に他の奴のプレゼントなんか渡しに来なきゃならないんですか。これは俺から先輩に、です」
あっさりと否定されてしまった。
(……あれ?いまこいつ、好きな人、って言ったような……聞き間違いか?えーっ、と?)
「……これはきっと、あれだよな。つまりその……いつも部活でお世話になっている先輩に対しての、感謝の気持ちの表れというか、ささやかな御礼がわりの粗品というか――……」
完全に目覚めきれていない脳みそを無理矢理高速フル回転させて、それらしき理由を捻り出していく。が、しかし。
「違います。そうじゃなくて、これはバレンタインのチョコレートです。勿論義理じゃなくて、本命」
またもや速攻で否定されてしまった。
「……はい?」
――――ここで冒頭の質問に戻る。
今日は二月十四日、バレンタインデーだ。
それは普通に、わかっている。わからないのは、若干十七歳の現役男子高校生のオレ、小原悠生(こはらゆうき)が、やっぱり同じ男であるこいつ、一歳年下の後輩で、繰り返し声を大にして言うが、性別男、の安齋律(あんざいりつ)にこのような告白紛いのことをされて、チョコレートなんぞを手渡されちゃったりしているのか、ということだ。
これは一体何の真似だ。どういった趣向の嫌がらせなんだ。もしかして新手の罰ゲームなのか。
それともオレが知らないだけで、実は今年からエイプリルフールが四月一日から二月十四日に変わったとか?
そんなオチを切に希望してみたけれど、実際バレンタインデーは二月十四日なわけだし「好きな相手にチョコレートを渡して告白する日」で、多分間違っていないはずなのだ。
なのに、どうして。やっぱり意味が全然わからない。
「……あのさ。オレのこと、からかってんの?」
胡乱な目つきでそう問えば、先ほどよりも大分強い口調で本日三度目の「違います」をきっぱりと宣言されてしまった。
「俺、本気で先輩の事が好きなんです」
「…………」
「だから俺と付き合ってください。……どこに、とか言わないでくださいよ。付き合うっていうのは、俺の恋人になって欲しいっていう意味ですからね」
げ。先手を取られた。まさに今「え、どこまで付き合ったらいいんだ?」と言うつもりだったのに。
どうもこれは、適当に茶化して無難にスルー出来るような雰囲気ではないらしい。
「恋人って……いやいや、無理だから。オレ男だし」
仕方ないので、オレは真っ当な意見で以って受けた告白を柔らかに否定した。
別に自画自賛するつもりはないけど、これ、オレにしては大層気を使った、懇切丁寧な断り方だと思う。
通常こういった同性からの不本意たる告白なんてものは「ふざけんなボケオレは男だ目ェ腐ってんのかいっぺん死んでこい!」と有無を言わさず一刀両断、即強制終了だった。
だけど目の前にいるこいつは、学年が違うとはいえ同じ部活なだけあって、これからも学校で顔を合わせる機会が多いだろうし、個人的に結構気が合うというか……ここだけの話、実は密かに気に入っている相手だったので(無論変な意味ではなく、イチ後輩として、である)あまりきつく言って今後の関係に悪い影響を与えたくなかった。
そんな大人の事情を(ってほど大袈裟なモンでもないけど)抱えたわたくしの控えめなお断りの言葉は、しかしながら、この男にはさっぱり通じなかったらしい。
「先輩が男だってことは勿論知っていますよ。うちの学校は男子校ですから。でもその辺の女の子よりも先輩の方が断然可愛いし……性別とか軽く超越しちゃってますよね、先輩の可愛さレベルって」
可愛いという言葉は言われ慣れているだけに、女顔であるというコンプレックスに日々悩まされているオレにとっては、かなりの地雷だ。
危険地帯を土足で踏み込まれて、大人しく黙っていられるほど、オレはお人好しな人間ではない。
―――要するに、今、すっごいムカついちゃいました。
「いい度胸だなお前、喧嘩売ってンのか!」
「そんなわけないでしょう。好きだって言ってるのに」
「……ッ」
しかし再度の告白(……なんだよな、これ?)を受けて、憤っていた気分が見事瞬殺される。というか、恥ずかしさの余り怒りがどこかに吹き飛んでしまった。
言っている本人が全然平気そうなのがまた、言われている方の身としては余計に居た堪れない。
「……や、す、すきって……そんな簡単に、言われ、ても」
狼狽しながらしどろもどろの口調で言うと、
「簡単じゃないですよ。『男相手』にこんなこと、本気じゃなかったら言えません」
さっきオレが口にした『男だから無理』という断り文句を見事逆手に取った言い方をされて、思わず返す言葉が喉で詰まってしまう。
(こいつ、思った以上に全然引かないな)
中々終わらない不毛な押し問答に終止符を打つべく、オレはここで決定的な切り札を出すことにした。
「……だから無理なんだって。だいたいオレは……」
「付き合ってる人がいるって言うんでしょう?知ってますよ。そうやっていつも、言い寄ってくる相手を片っ端からフッてるんですよね」
げ。ここでもまたまた先を越された。
(なんだよこいつ、さっきからオレの逃げ道を逐一潰すかのごとく先手必勝奪いやがって、ああむかつく!)
「知ってるなら、無理だってわかるだろ!そうだよ。オレには恋人がいるので、君とお付き合いすることは出来ません、以上!」
語気も荒く言ったのに、こいつは最初からそうくるのはわかっていました、みたいなシタリ顔を憎たらしく晒しながら、余裕綽々といった風情で、驚きの発言をぶちかましてくれた。
「でも先週、別れましたよね」
「―――!」
隠していた秘密を暴露されて、予想外のパニックに陥る。
(なななななんで、知ってるんだよ……!まだ誰にも言ってないのに!……ちょっと待て、何なんだ、こいつ!?)
「わっ、別れてねーよ!」
焦って咄嗟に誤魔化したら「嘘ですね」と即座にばっさり切られてしまった。
(うわ、これもバレてるし……!)
「恋人がいるのにバレンタインデーに家で一人きりなんて、普通有りえないでしょ。……付き合ってる人いないんだから、今フリーですよね?なら俺のこと、ちゃんと考えてくれてもいいでしょう?」
一見穏やかなのに、有無を言わせない強引な響きを持った声音で言われて、チョコレートを持っていないほうの手首を突然掴まれた。
触れる大きな手に、ドキリと心臓が跳ねる。
「俺、小原先輩の事絶対大事にします。だから……」
そのまま腕を引っ張られて、身体ごと引き寄せられる。
逸らせないほどの至近距離で目を覗き込まれながら、脳髄に響くような甘く低い声で「ね、先輩。俺と、付き合って?」と色気駄々漏れに囁かれて、一瞬呼吸が止まりそうになった。
「……っむ、むりむりむり!たしかに今、付き合ってる奴はいないけど……お前、男だし、勿論オレも、」
「男だから無理だって?だからそんなの関係ないですから、先輩の場合」
(なんでだよ、超関係あるだろうよ!常識的に考えて非常識だろ、男同士なんて!)
「好きになったら、相手の性別なんて小さいことは気にしません。俺、心広いんで」
(オレは俄然気にするんだよ、悪かったな小さいことに心狭くて!……ほんとにこいつ、真剣にむかつくんですけど!)
「とにかく、無理なものは無理なの!」
躍起になって掴まれた腕を振り払おうとしたら、安齋は学年一美形と称されている大層秀麗なお顔に、心底わからない、といった表情を浮かべながら、繰り返し言い募った。
「どうしてですか?無理かどうかなんて、付き合ってみないとわからないでしょう?」
「わかるって。絶対に無理!」
「……たとえ今日は無理でも、明日なら大丈夫かもしれないですよね」
(うわあああもう嫌だこいつ、日本語が通じない!)
「今日とか明日とか、そういう問題じゃないだろ?!」
「じゃあ明後日ならいいですか。先輩がOKしてくれるまで俺、いつまでも待ちます」
「……いや、だから……そうじゃなくて……」
あまりのしつこさに半ば唖然としてしまう。結構全力で拒否っているのに、何をどう言っても全く動じないし。しかも顔が全然笑ってないから、妙な威圧感があってちょっと怖い。
「あ、明日も明後日も明々後日も、全部無理だ」
「それだと四日目以降なら可能性があるわけですね」
もう何度目になるかわからない否定の意を告げても、安齋はオレの揚げ足を取るばかりで、一向に諦める気配が無い。
「…………」
(どうして今日はそんなに反抗的なんだ、普段はもっと聞き分けいいくせに。もしや今更遅すぎる反抗期か?)
困惑が焦りに拍車をかけ、どんどん追い詰められた気分になっていく。
「俺、絶対に諦めませんから」
その上、駄目押しとばかりに降伏はしないと宣言されて、いよいよオレの中のパニック指数が限界値に到達した。
「そんなこと言われても困る!本当に無理だから……!」
半ば叫ぶように言って思いっきり手を振り払うと、やっと手首を掴んでいた腕が外れた。
そのまま逃げるように後退りするオレを見て、安齋は恐ろしいまでの余裕然とした態度でゆったりと腕を組んだ。
若干横柄な印象を受けるものの、そんな動作が妙にサマになっているというか、やたら優雅に見えて、嫌味なくらいだ。
他愛も無い表情や仕草一つにふと目を奪われるのは、やっぱりその飛び抜けて恵まれた容姿のせいなのだろうか。
「……まあ、別れたばかりでいきなりすぐに次っていうのもあれだろうし、取りあえずは猶予期間ってことで、今は我慢しますよ」
(猶予期間……?って、なんの?それは何の猶予なんだ?!あーもうわかんねえ!そして微妙に上から目線な言い方なのは何故だ。オレの方が先輩なのに、くそう……!)
「だからこれからは『恋人候補』として俺のこと見て下さいね先輩。それと来月のお返し、凄い楽しみにしてますから」
――――それじゃあまた明日、学校で。
言いたいことだけ言って一方的に話を締めてしまうと、もう用は済んだとばかりに安齋は背を向けて歩き出した。来る時も不意打ちなら、帰る時もまたひどく唐突だった。
遠ざかっていく背中に慌てて後ろから声を掛ける。
「勝手に変なこと決めるなよ!……おい、待てって!」
しかしこれ以上話をする気はないのか、安齋はオレの呼び掛けをガン無視してさっさと立ち去ってしまった。
追いかけて引き止めることもできず、エレベーターの中に消えていく後姿を、オレは玄関先でひたすら呆然としながら見つめていた。
(ええー……なにいまの、なんだあれ)
「冗談、だよな……?」
呟いた弱弱しい自分の声が、無人のエントランスに虚しく響いた。
The Next Day
February 15
「悠ちゃーんっ、王子がお迎えに来たよー!」
翌日の放課後。
教室で帰り支度をしているオレの元へクラスメイトの高橋章太が、勢い良く走りながらやって来た。
「は?おうじ?」
(……って、誰?現代のハイスクールに、王子って)
聞き慣れない不自然な単語を耳にして目を点にしたオレに、章太は後方のドアを指で差しながら、屈託の無い笑顔で伝言を口にした。
「小原先輩を迎えに来ました、だってー。王子がお迎えに来るなんて、悠ちゃんまるでお姫様みたいだネッ!」
「はあっ!?誰が、姫だってぇ?つか王子って、誰のこと?」
「我らが西園寺高校の、無敵の王子様!一年五組の、安齋律くんでぇーすっ!」
章太の指先が示す方向へ顔を向けると、入り口の所から、こっちを見ている後輩と目が合った。
(っ、わ……っ)
目が合うとすぐに、安齋は嬉しそうに笑って軽く会釈した。
柔らかな微笑にドキ、と心臓が小さく飛び跳ねる。オレは急いで視線を自分の机に戻した。
(え、なに、慌ててんのオレ……?)
あいつの笑顔なんて、別に珍しいもんじゃないのに。
なんでもないことに動揺している自分に内心驚いているとオレの机に頬杖をついた章太が、興味津々といった面持ちで訊いてくる。
「悠ちゃんと王子って部活一緒なんだよねえ。仲いいの?」
「えっ?あぁ……仲いい、っていうか……」
――――安齋と初めて話をしたのは、あいつがバスケ部に入部してきた、九月の初秋だった。
その時期ちょうど三年生が一斉に引退して、今迄のレギュラー陣が殆どいなくなってしまい、チームの力が格段に落ちて困っていた。そこで部の未来を案じた前キャプテンが、中学の頃一緒にチームを組んでいたスーパールーキーを、半ば強引に(勉強に支障が出たら困るという理由で、入部するのを随分渋っていたらしい)連れてきた―――それが、安齋だ。
途中入部にもかかわらず、入ってすぐに実力を認められて難なくレギュラー入りを果たした安齋は、半年のブランクを全く感じさせないほど素晴らしい動きを見せてくれた。
長身を活かしたシュートは命中率も部でナンバーワンだったし、守備攻撃共にバランスよく動ける。
どのポジションにいても使えるオールラウンダーの存在は、新キャプテンに任命されたばかりのオレにとって正に救世主だった。そしてまたチームとしての戦力だけではなく、オレ個人としても安齋とは非常に相性が良かった。
ここだ、と思った時に必ずくる絶妙なタイミングでのパスだとか、事前に打ち合わせもしていないのになんとなく目線や気配でお互いの行動が読めたりだとか、他の相手じゃこうはいかないと云うほど自由に動けるしサポートしてもらえる。
オレ達二人がチームを組めば試合では常に負け知らずで、今まで以上にバスケをするのが楽しくなった。
部活以外でも、オレの住んでいる家がちょうど安齋の家から学校までの通り道にあったので、何度か帰り道に偶然会った時には、御飯を一緒に食べに行ったり、オレの家で自慢の手料理を振舞ってやったこともある。
年下だけど話し易くて、波長が合うというか、一緒にいるといつも不思議なくらい居心地が良かった。
だから安齋のことは部の後輩の中でも一番気に入っていたし、ごく普通に好意を抱いていた。
てっきり向こうも同じように、自分のことを部活の先輩として慕ってくれているのだろうと思っていたのに。
……はあ、と溜息を吐きながらドア付近に目を走らせると、壁に寄りかかって大人しく待っている長身痩躯の後ろ姿が目に入った。
「……同じ部活の後輩だから、仲は一応それなりに、かな。なあ章太、どうしてあいつが王子なんだ?」
「ん〜っ?どうしてって……ほら、まず顔がそれっぽいし、成績も入学してからずっと学年トップで、運動面でも優秀だからじゃない?バスケ部でも唯一の一年生レギュラーなんだよね!」
「あ〜、そうだな……」
(……確かに、顔がいいのは認めるけどさ)
運動神経も間違いなく一級品だし、成績だってうちの学校の生徒会役員に選ばれるくらいだから、相当お出来になるのかもしれませんけど、ね。
「だからって、男子校で王子って……」
そのメルヘン溢れる乙女ちっく全開なネーミングの存在は、果たして本当に需要があるのか?
うちは男子校だぞ。しかも都内でも一、二を誇る超絶難関進学校だ。日本の未来を背負うべき人材が集結した歴史ある由緒正しき男子校に、王子様とか、絶対いらないだろ。
……いやはや全く、今どきの若者の考えることは本当に碌でもないですな!(と偉そうな事を言いつつ、オレ自身もその今どきの若者と呼ばれる人間の一人に違いないのだけれど。そこはご都合主義ということで、棚の最上部へと高らかに放り投げておきます)。
「あ、でも王子って最初に言い出したのはうちの学校の生徒じゃないみたい。近くにある公立校の女の子達が勝手に呼び出したのがきっかけで、今ではうちの学校でも結構呼んでるひといるよ〜、保健室の先生とか」
「へえ〜、よく知ってるなあ章太」
「だって一年生の中で一番目立つからね、彼!……それより悠ちゃん。さっきから王子が待ってるみたいだから、そろそろ行ったほうがいいんじゃないの?はい、立って立ってー!」
中々動こうとしないオレの腕を引っ張って立たせた章太は、入り口に向かって背中をぐいぐいと押してくる。
正直あんまり顔合わせたくないんだけど。そこまで来てるなら、もう逃げ場はないか。
「じゃあオレ帰るな」
「うん、また明日ね〜っ!」
オレはにこやかに手を振る章太に別れを告げ、後輩の元へと重い足を動かした。