―――浮気疑惑―――
今まで自分とは無縁の出来事だと思っていた、不吉で物騒な昼ドラ感漂う単語が思わず脳裏を駆け巡った―――それはとある日のこと。
昼休みも終わりに差し掛かかり、五時間目の体育の授業のため同じクラスの律や章太たちと、更衣室でいつものように着替えをしていた時のことだった。
「あれ?律、首んとこどうしたー?なんか赤くなってるけど」
一彦が、律の細い血管が薄く見える綺麗な首筋を指差した。
「……ああ、これ。うん、ちょっと」
「虫刺されか〜?……あ、それとももしかしてー……『キスマーク』だったりして!?」
にこにこというより、にやにやという形容詞の方がふさわしかろうと思われる胡散臭い笑顔でそう指摘した一彦の言葉に―――瞬間、オレは固まった。
(えっ?!い、今、なんて言った?)
「さあ。どうだろうな」
「またまたそんな〜!しらばっくれちゃって、このぉ!お前ら二人、毎日お熱いことで実にいいねえ!さすが十代の若者は体力あるな!」
このらぶらぶバカップルめ〜っ!と一彦は律の腕を右肘でつつきながら、オレに向かって左の親指を突き立てて見せた。おまけに似合わないウインクまで飛ばしてくる。
何やらとんでもなく下世話で恥ずかしいことを言われた気がしたけど、さっきの一彦の一言で頭がフリーズして、いつものように啖呵を切って男らしく言い返す、なんて余裕はとてもなかった。
「ちょっとカズくん、その発言問題あり!へんなエロオヤジみたいなこと言って、悠ちゃんにセクハラするのはやめてよね〜!」
「ええ〜なんだよ章太〜おれのどこがエロオヤジなの!」
「どこもかしこも!そんなでっかい図体して、やらしーこと言わないの!」
「ひど!それ体格かんけーないじゃんよ別にー!」
「あるある!見た目は大事だよ。それに十代の若者って、カズくん自分もそうでしょ、も〜っ!」
内心パニックになってボケッと突っ立ているだけのオレに代わって、章太が図体のでかいどこぞのエロオヤジ一彦と騒がしく言い合いを始めたが、律は間に入って止めるでもなく、ただ一人黙々と着替えを続行していた。
特にこれといって動揺している素振りも見られない。一彦の言葉に過剰に反応して、心中穏やかでないオレとは大違いだ。
(―――あの?り、律?)
何も無かったような顔をして、脱いだ制服の上着をハンガーにかけている律を、オレは暫しの間不自然なくらい凝視してしまった。思わず喉元まで出掛かった言葉を、寸での所で飲み込んで。
(き……キスマークって、なに……!)
いや、勿論なにっていうのは「それってどういうものなの?」とかいう、原始的な意味ではなく(流石に今時それを知らない男子高校生はいないだろう)もっと根本的かつ現実的な問題だ。
なんで首筋に、キスマーク?ということであって。
まだはっきりとそう決まったわけじゃないけど。ただの虫刺されなのかもしれないし、うん。
……何だか必死になって自分に言い聞かせてみるものの、やっぱりどうにも腑に落ちない。
いや、確かに昨日、愛の証である印が刻まれるまでの過程というか、イトナミというか、いわゆるその……アレ、を致した覚えはある。
しかも自分の身体には今、人様にはとてもお見せできないようなとんでもない場所にしっかりと、ソレ、がついていたりもする。最近のオレにとっては、至って馴染みのモノなのだ……なんとも、恥ずかしいことに。
しかし毎回必ずと言っていいほど、情事の時にソレを残したがる律に対して、オレが律の身体に痕を残したことはまだ数回しかない。
しかもそれだって自ら望んでというよりも、事の真っ最中に頭が真っ白になって何も考えられなくなった頃に、半ば強制的にそうするように仕向けられたというか……その、恥ずかしすぎることに。
そんなわけで、昨日までは確かにそれらしき赤い痕なんてついていなかったはずだ。それは絶対に、間違いない。
(じゃあ、なんで?)
昨日も含めて最近の事を思い出しても、やっぱりそんな所にキスマークなんてつけてないし。
(ええっと、えっと……ってことは)
つけた覚えが全く無いのに、人様(って言っても一彦だけど)からご指摘を頂いてしまう妙な痕跡があるっていうのは、つまりどういうことなんだ……!?
(……もしかして、浮気……とか?)
嫌な単語が一瞬頭の中をよぎったけれど……まさかな、違うよな、そんなわけないよな、と一人心の中で葛藤する。
(でも律、はっきり否定しなかったし。やっぱりあれって、キスマークなのか?)
最近気づいたことなんだけど、律は本当の事というか図星を指されると、案外その事実に対して正直だし、隠さない。そういう時は大抵さあ≠ニかかもな≠ニか曖昧な言葉で遠回しに肯定して、さらっと受け流す癖があるんだ……さっき一彦にしてたみたいに。
(……もしかしてもしかすると、やっぱり、そうなのか?!)
さっきから心臓が忙しなく早鐘を打っている。もし今血圧計で心拍数を計ってみたら、きっと今日の体育はお休みせざるをえないような、十代の若者らしからぬ不健康な数値が記録されることだろう。
これからが体育本番だっていうのに、始まる前からこんなに息を切らしていたら、そりゃもう大変だ。
(……どうしよう。メチャクチャ気になる……)
横目でちらちらと律の首元を盗み見たものの、ジャージが邪魔してよく見えない。人目がなければ今すぐ確かめてやるけど、あいにくここは六十人ほどの生徒が集う私立西園寺高校個人専用ロッカー付第三更衣室(つまり人目がありすぎる)なので、とりあえず断念。
*****
「うわー、時間あと十分しかねえの!?超忙しいじゃん!」
四人ともジャージに着替え終わった頃、更衣室に朔哉が駆け込んで来た。
「朔ちゃんおっかえり〜、遅かったね」
「だってあのあほ担任、自分から呼び出したくせに、職員室行ってもいないしさぁ。ったく、ふざけんな!」
貴重な昼休みを担任からの呼び出しで殆ど潰されて、少々ご機嫌ナナメらしい朔哉は、口を尖らせながら忙しなく着替えを始めた。
「あの先生、時間にルーズで有名だもんねぇ……あ!そうだ聞いてよ朔ちゃん!さっきカズくんがまた悠ちゃんにセクハラおやじ発言してたんだよー!」
「―――んな!そんなのしてませんって、なあ律!」
「いや、してた」
「そんなー!王子様、冷たい!……ああ誰か、おれに救いの手を!」
「へーえ、そうなんだ。まあでも、カズは口だけだからね〜口だけ男、いや口だけえろお君!……実際は全然大したことないから、こいつ」
「さ〜く〜や〜……なあ悠生ぃ、何とか言ってやってよこいつらに」
「……」
「おおーい、悠生くーん?ひ〜め〜?」
「どしたの、悠ちゃん?」
「……えっ?あ、な、なに?」
章太に肩を叩かれて我に返ったオレは、慌てて返事をした。(やべ……っ、今完全に上の空で、全く会話聞いてなかった……けど)
「どさくさに紛れて人の事姫とか言ってただろ、このばかずひこ!」
(この禁句だけはどんな時でも耳に勝手に入ってくるんだよ、オレは!言葉に気をつけろ!)
「あれっ、なんだ聞いてたか!悪い悪い、ついうっかり〜!」
一彦はこれっぽっちも悪いと思っていなそうな顔で、ごめんごめんと頭の前で両手を合わせて心無い謝罪をした。
こいつ本当に全然悪いと思ってないな……悪い、もごめん、も、二回続けて言ってる時点で信憑性薄いだろ、嘘くさすぎだっつーの!
「そういや、結局何の話だったわけ、朔哉?」
「もしかして部活の事とか〜?あの先生確かテニス部の顧問だったよねぇ?」
「ええ?ああ〜うん、それがさぁ……」
朔哉の着替えも終わって雑談を始めた一彦たちの横で、律は会話に参加せず、何か言いたそうな顔でオレをじっと見ていた。
なんだ……?と思っていたら、ふいに羽織っている自分のジャージの襟首(しかも一彦がさっきキスマークを指摘していた辺りだ)を突然指差したもんだから、驚きで一瞬心臓が止まるかと思った。
(なっ、なになになに―――なんなんだ!?)
ドキドキしながら律の言葉を待っていたら。
「悠。ここ、襟曲がってる。」
「―――え?!あ、ああ……うん……」
(あ、なんだ。襟か……)
どうやら律は、オレのジャージの襟が片方曲がっているのが気になっていただけらしい。
(……なんだよもう、驚かすなっての!)
……いや多分、オレが勝手に驚いてるだけなんだろうけど……自分が考えていた事とは全く関係の無い話だったので、緊張していた分一気に力が抜けてしまった。(今のオレにはジャージの襟の微妙な曲がり具合なんて、果てしなくどうでもよいことだ)
「はぁ……」
溜息を吐いて襟を正そうとしたら、律が隣にやって来た。
「ほら」そう言って、いつものネクタイを結ぶ時みたいにオレのジャージの襟を丁寧に直した、
そして手を離す時、触れるか触れないかのギリギリのラインで、人差し指と中指で直線をなぞるみたいに、オレの首筋を優しい手つきでさり気なく撫でていった。
しかも、ついでとばかりに鎖骨のちょうど上辺り、オレが特に弱いと感じる(らしい、と先日無理矢理気づかされた)所に軽く爪を立てるというオプションまで付けて。
「……っ!」
確信めいた繊細で官能的な指の動きがもたらした悩ましい感覚に、昨日も散々味わった甘い痺れが背筋を走った。
(お、お、お前……っ!こ、こ、こんなところで、なにしてくれるんだもう、馬鹿―!)
恨みをこめて思いっきり睨み付けてやったら、その鋭い視線に気づいたのか、律がオレの顔を見た。
一瞬目を眇めると、王子様と称される端整な顔に思わずゾクリとくるような艶っぽい表情を浮かべて、小さく笑った。
(うわあ……!こいつ、確信犯だ!確実にわかってやってるな!)
―――最近気がついたことで、もうひとつ。
こいつはこういう、明らかに今はやばいだろって時、それをちゃんとわかっていて、というかむしろそれを狙っていたかのように、こんな風に色々仕掛けてくることがある。しかもそれは大概、あっち方面の際どい悪戯であることが多い。
多分他人からすれば、何でもない行動かもしれないけど、オレにとってはかなり切実な問題で、真面目にやばい。
何がやばいって……あれだ、最近妙にこういうことに慣れてきたというか……つまり律と身体を重ねるようになってから、ほんのささいな接触でも(勿論律限定のことだけど)身体が勝手に色々思い出して、反応しちゃうというか……ほらやっぱり、オレも一応十代の若者よろしく健全な男子であるからして、自然の成り行きといいますか、健康の証しと申しましょうか……って。
(ああ、もう、オレ最低だ!まじ最低です!嘘がつけない男の悲しい性(さが)って、きっとこういうことを言うんだ!)
「……はあ」
ひとしきり心の中で大騒ぎしたオレは、そういえば、と肝心な事を忘れていたことに気がついた。
(まさかと思うけど、今の、誰も見てなかっただろうな?)
……恐る恐る目の前の三人を見ると、オレたち二人の小さな戯れに気づいた様子もなく、賑やかに談笑している。少し離れた所にいる他の生徒たちにも特に目撃された気配はなさそうだった。
(よ、良かった……誰にも見られてないみたいだ)
ホッと肩を撫で下ろしたその時、授業開始五分前を告げる予鈴がなった。
「さて、それじゃあそろそろいきますか〜」
一彦がのんびりとした口調で言って更衣室から出て行き、オレ達四人も後に続く。
(……結局、有耶無耶になっちゃったけど、あの痕って一体何だったんだ……?やっぱり、気になるし……あれ)
隣を歩く律をぼんやり眺めながら、ああ〜ちくしょう、ジャージのせいでやっぱり見えねえ……くっそう邪魔なんだよお前、どっかいけ!と、返事も出来ないただの衣服に八つ当たり光線を浴びせた。そして上着のチャックを下げて今すぐ律の首元を露わにしてやりたい衝動に駆られた、が。
「……なに?」
「べ、べつに?」
実際は律のジャージの裾をつんつん、と小さく引っ張ることしか出来なかった。がくり。
律みたいに大勢の人がいる中で、誰にも知られずに事を成すなんて、やっぱり不可能なのだ、常識人のオレには(って、そんな大げさな事ではない気もするけど……たかがジャージを一枚ちょっと脱がすくらい)
仕方ないので、とりあえずこのことは今は忘れて、授業に集中しなければ―――と思いつつ、結局体育の授業そっちのけで、首元のキスマーク(らしきもの)の事がどうしても気になって、ずっと律から目が離せないでいた。
*****
「律、ちょっと話あるんだけど!」
終始心ここにあらずな感じで体育の授業を適当にやり過ごし、教室に帰る途中目に付いた普段使われていない資料室へ律を連れてやって来た。
ここなら人目につくこともないだろう。
「なんだよ?話なら後で……」
「いいから、来い」
「でも次の授業がもうすぐ始まるだろ?」
「すぐ済むから!」
時間を気にする律に有無を言わせず、強引に腕を引っ張って八畳ほどの広さしかない、ブラインドが下げられたままの薄暗い部屋に入った。念のため他の生徒が入れないように鍵をかける。
(よこ、これで思う存分訊けるな)
本当だったら授業が全部終わってから、人に見られる心配がない自宅でゆっくりと納得いくまで事情聴取してやろうと思っていた。
でも……制服に着替える時に再び見てしまった例の赤い痕のことがどうしても気になってしまい、急遽予定を変更、放課後といわず今すぐ直接確かめる事にした。そうでもしないと、授業の間中頭がそのことばかり考えてしまって、勉強なんかとても手に付かない。実際、さっきの授業がそうだった……
体育の間考え続けた結果あれはやっぱり、キスマークなのではないか、そしてもしそうならば、それは浮気≠ニいう行為に他ならない、という結論に達した。
考えれば考えるほど、オレの豊かな想像力は恐ろしい妄想を次から次へと生み出してくださるものだから、体育が終わった頃には、肉体的にではなく精神的にもうクタクタだった。
やっぱり悠長に授業なんて受けている場合ではない。
あれは一体何なのか(九九パーセントキスマークだと実は疑っている)
どこでつけてきたのか(本当は考えたくも無いけれど、そんなこと)
誰に、つけられたのか(一番訊きたくないけど、でもこれこそが最重要ポイントだ)
(何としてでも訊き出してやる……!)
幾分目が据わってきているのが自分でもわかった。
穏やかでない気持ちを持て余したオレは『百聞は一見に如かず』というし、まずは聞くよりも見るほうが先だ!と、律の制服に手をかけた。
「……おい、悠?」
律は突然意味不明な行動に出たオレを、なに、どうしたんだ?と困惑気味で見ている。肩に触れてきた律の手を無視して、まずは綺麗に結ばれているネクタイを取り払った。
次にワイシャツのボタンを緊張で震える両手でゆっくり外すと、やっぱりというか、どう見てもソレ≠轤オき赤い痕がくっきりと首筋に残っていた。
……間近で見て、はっきりと確信を持つ。
どう見ても、これは、キスマークだ。虫刺されなんかじゃない。
ほんの少し前なら虫刺されの跡も、口付けの痕も区別がつかなかったかもしれない。でも今は、自分も付けたことがあるし、付けられたことは数え切れないくらいあるからこそ、わかってしまうのがなんとも複雑だ。
「……」
暫しの間、信じられない気持ちで首元のキスマークを呆然と眺めていたら、ふいに頭上で律がくすりと笑った気配がした。
(―――えっ!?な、なんで?笑うとこじゃあないだろ?!)
わけがわからないまま訝しげに律を見上げると、やっぱり笑っている。しかも、どこか見覚えのあるいや〜な感じの、そう、何か悪巧みを考えている時の、最近頻繁にお目にかかる、ちょっと意地悪な顔で。
―――ただ何故今この時に、その表情なのかは甚だ疑問であったけれども。
……よくわかんないけど、なんか目茶苦茶腹が立ってきた。
オレがこんなに切実に悩んでいるっていうのに、何だその余裕綽々な態度は。
(これだけハッキリとした証拠があって、まさか白を切るつもりじゃないだろうな……!)
今までは努めて冷静さを保ってきた(つもりだった)けど、そろそろ我慢の限界だ―――!
「なに笑ってんだよ、お前!これは一体どういうことなのか、きっちり説明しろっ!」
いかなる言い逃れも辞さない覚悟で言い放ち、律の眼前に人差し指をビシッ!と一本、突き立てた。
「……」
それまでずっと口元に笑みを浮かべていた律が一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐに忌々しい笑顔に戻ると、オレの突き立てた指を右手で包み込むようにそっと掴んで、自分の口元まで持っていった。え、なにを……
「―――っ」
するんだ……と思った数秒後には、奪われた人差し指が律の口に含まれていた。
(ちょっ、なに……っ)
捕らえられた指は、先端からゆっくりと熱い口内に入れられて、指の付け根から爪の先まで緩く歯を立てて舌で丁寧に舐められる。
「……っ」
濡れた熱い舌の感触にゾクリとして、思わず漏れそうになった声を大きく息を吸うことでなんとか押し留めた。
掴まれた指を振り払おうとしたら、逆にそのまま律の腕に身体ごと抱き寄せられてしまった。
制服越しに伝わってくる体温と、爽やかなのに濃厚で甘いフレグランスの香りが、くらりとするような陶酔感を運んでくる。オレは焦って、
「おい。なにやってんだよ律、手え離せ!」
―――これじゃあ話もできないだろ!と律の身体から逃れようとしたけど、所詮オレ如きの力では全く敵わず、腕はびくともしなかった。
(くそっ……!)
内心舌打ちをして、なんだかよくわからないこの状況に苦情を言ってやろうと密着したまま顔をあげれば、次の瞬間にはもう、顔を斜めに傾けて近づいてきた律に、あっという間に唇を塞がれていて、それ以上何も言うことが出来なかった。
「……んっ……う」
強引に入り込んできた律の舌が最初から激しく歯列の間を辿り、戸惑っているオレのことなんかまるでお構いなしで好き勝手に口腔内を蹂躙していく。
「は……っ」
(ちょ、待てよ……なんで急に、こんなこと……)
驚きと動揺で縮こまっているオレの小さな舌を、律は慣れた仕草でなぞるようにして、ゆっくりと辿っていく。
予想外の出来事に最初は戸惑っていたものの、慣れた身体は素直に快楽を拾ってしまう。
甘くて心地よい口付けに段々と身体の力が抜けて、気づけば律の腕の背中に自ら腕を廻してしがみ付いていた。そして深くなるばかりのキスは、たいした抵抗も出来ずにいるオレを更に追いつめていった。
「ン……っア」
時折、甘噛みしながら舌を優しく吸われると、それだけで身体中がどうしようもなく甘く震えてしまって、喘ぎ混じりの吐息が何度も口から漏れてしまうのがたまらなく恥ずかしかった。
角度を変えて何度も繰り返されるうち、口内に溜まった二人分の唾液が口端を一筋伝っていく。
それに気づいた律が、静かに唇を外してその部分を親指でそっと拭った。透明な液を纏った指をまるでオレに見せ付けるように、舌を出してぺろりと舐める。
(―――うわ……まじやばいから、それ。洒落になんないって、もう!)
かあっと全身が燃えるように熱くなったオレは、いつのまにか律が本気モードに入っていることに気がついた。
欲望を孕んだ強い視線でオレを見据え、普段はストイックな理性の陰に隠れて見えない、甘くて危険な空気を纏っているのを野生的な本能で嫌というほど感じる。
「……いきなりなにするんだよ、ばか……」
熱の籠った身体を持て余しながら、さっきの勢いがまるで嘘のように小さな声で言った。情熱的なキスと、蕩けるような蜜の濃い雰囲気に完全にのまれていた。
「何が?」
律は真顔で短く返事をすると、少しだけ身体を離してオレのネクタイを取り、更にその下のシャツのボタンに手を掛けた。さっきオレが律にしたのとは違って、何の躊躇もなくあっという間にボタンは外され、いつのまにか上着まで脱がされている。
(……ん?ちょっちょっ、ちょっと!待て!待て待て待て!なんだこの展開は。も、もしかして、これはアレか!?
や、それはまずいだろ!……さすがにこれ以上は、ほんと駄目だって!)
―――だけど律の動きは一向に止まらない。
「……あ……っん……っ」
そうこうしている間に今度は肌蹴られた首筋に柔らかくて熱い唇がゆるく押し当てられる。そこに痕が残らない程度の強さで軽く肌を吸われて、一瞬うっかり気持ちよくなりかけてしまった―――が。
(いやいや、こんなことしている場合じゃないから!しっかりしろオレ!)
最近すっかり脆くなってしまった理性を総動員して何とか正気に返ったオレは、とりあえず律の腕から逃れようと、力一杯目の前の肩を両手で押し返した。
「なにしてんだよ、律!」
(やばかった……あと少しでうっかり流されるとこだった!こんなことで誤魔化されてたまるか!早いとこ、事の真相を聞き出さないと)
「なにって……どういう意味?」
盛り上がっていた所を突然中断された律は、明らかに不満そうだった。長めの前髪をかき上げながら、逆に質問を返してくる。
(意味なんて、こっちが訊きたいっつうの!)
「どういう意味もなにも、今こんな事してる場合じゃないだろ!?」
そうだ、こんな所でこんなことをするためにわざわざこいつを連れて来たわけではないのだ。
「なんで。自分から誘ったくせに」
(―――なに!?)
「おおおっ、オレがいつ!なにを誘ったって!?」
衝撃的な言葉に驚きを隠せない。寝耳に水にもほどがある。一体どんな経緯でそんな誤解が生まれたんだ!
「ずっと。体育の時間から妙に熱心に見つめてくるし」
「あ……えっと」
(……それはかなり思い当たることありますけれど)
「授業始まるって言ってるのに、無理矢理こんな人気の無い所につれてきて」
「う……それ、は」
(だ、だって、待ってられなかったんだから仕方ないだろ)
「わざわざ鍵までかけて、何するのかと思ったら、突然人の服を脱がし始めて」
「いや……その」
律に指摘されて一連の行動を思い返してみると、随分恥ずかしい事をしていた自分に今更ながら気がついた。
(ああどうしよう、オレ、恥ずかしすぎる……!)
穴があったら入りたい気分で一杯だ。
「……ここまでされたら、誰だってその気になるだろう?しかも相手が、毎日でも抱きたいと思っている可愛い恋人なら、尚更―――」
低く掠れた毒のような甘い声で囁くと、多分羞恥で真っ赤になっているだろうオレの耳朶を柔らかく噛んだ。
「あっ……!」
甘い痺れを腰の辺りに感じて、さっきの激しいキスですっかり敏感になっている身体が堪えきれずに反応してしまう。
(や……っ、これ以上はほんとに駄目だってば……実はもう、かなりやばいし……)
煽られまくったおかげで、下着の中のものが顕著に変化を見せ始めていた。
「―――それなら、その首にあるキスマークはっ……何なんだよ!」
律の仕掛けてくる卑猥な動きに何度も堕ちそうになりながら、一番訊きたかったことを口にする。
「……何なんだって……なにが」
「……なに、が、じゃあなくって……っ!誰につけられたのか!って訊いてんだよ!……っぁ……っ!」
律は喋りながらも器用に腕を動かして、ボタンが全部外れたシャツを二の腕の辺りまで下ろした。浅い呼吸を繰り返すオレを宥めるように、背中を片手でゆっくりと撫で下ろしていく。
何気ない穏やかな掌の動きさえも、鋭敏な肌には震えるような心地良さを運んでくる。
(どうしよう、本格的にやばいかも……)
「んっ……オレの質問に、答えろよ……っ」
息も絶え絶えになりながらどうにか返事を要求すると、
「誰ってお前……」
怪訝そうな顔でオレを見た律は一瞬動きを止めて、暫しの間何か考えているようだった。
(――――?何だよ……やっぱり、浮気、なのか……?もしそうだったら、どうしよう……)
「……ああ。そういうこと、か」
なるほどね、そう言って一人で何事かを納得したらしい律は、今日一番の、物凄く嫌な笑顔をみせた。
(え。何その嬉しそうな顔……)
意味がわからない。
だけど妙な胸騒ぎがして、得体の知れない不安がじわじわと心の中をつきまとう。なぜなら律がこういう顔をしている時は、大抵碌なこと考えていないからだ。
色々な意味で半泣き状態になったオレの目元に、律はチュッと可愛らしい音を立ててキスをした。
「それでずっと気にしてたわけだ。……なあ悠、オレが他の誰かとこういうこと≠オてるって、本気で思ってた?」
律はオレの僅かに開いた唇を意味有りげに指でなぞりながら、自分の着ていた制服の上着を脱いで、近くにあった机に放り投げた。
「だ、だって……っ……っあ……待てって、ちょっと……」
「悠?……ほら、聞いてるんだから答えろよ」
何故だかさっきと立場が逆転してしまい、今度はオレが律に詰問されている。
(……あれ?)
なんかよくわかんないけど。
「……そ、そうだよ。悪いか?!そう思ってたよ!違うって言うのなら、そのキスマークは一体なんだ!こ、こんなことしたって、誤魔化されないんだからな!」
と口では反撃しつつも、律の施してくる甘くて執拗な手管にすっかり嵌ってしまったオレは、実は半分くらいはもうどうでもいいや、なるようになれって気分だったりする。
(あーこれってもしかして、オレいいように騙されてる?)
「誤魔化すもなにも……いや、別にいいけど」
仕方ないな、もう。そんな顔をして小さく溜息を漏らした律はズボンのポケットに手を入れて何かを確かめると、あいている方の手をオレに差し出した。
「ハンカチ持ってるだろ。貸して」
「……いいけど、なんで?」
「二枚あれば、大丈夫かな」
「大丈夫って……おい……」
(そ、それはまさか)
過去にあった恥ずかしい経験から、すぐにその使い道を察することが出来た。
「えっ……まさか、ここでするつもりか!?」
(し、しかもハンカチ二枚って……それは最後までするってことなのか?!)
何を今更、と律はオレのズボンのポケットに手を入れて勝手にハンカチを取り出してしまうと、自分のポケットに入れてしまった。
確かにここまできてしまったら、それも致し方ないことなのかと心の中ではわかっていた(というか、はっきり言ってしまえば身体的にけっこう限界が来ているのだ)
それでも消せない僅かな羞恥心や、微かに残ったあまり役に立たない理性やらが、心のどこかでブレーキをかけている。
一応これでもモラルを重んじるタイプの人間なんだ、オレは。
「や、やっぱりこんなところじゃ……」
「お前が連れてきたんだろ」
(そうなんだけど……)
「でもほら、授業始まっちゃうし」
「そんなのもうとっくに始まってる」
(全然気がつかなかった……)
そういえば、予鈴が鳴っていたような、鳴っていないような?(正確には、聞こえてたような、聞こえてなかったような、が正しいだろう。一応、念のため)
「それにさっき体育だったから、つ、疲れてるし…」
「たいして頑張ってなかっただろ?ずっと上の空だったみたいだし」
(……うるさいな。オレは何か一つ気になることがあると、そのことしか考えられなくなる性格なんだよ!すみませんね思い込みの激しい、単細胞で!)
往生際の悪い形ばかりの抵抗は結局、全てこんな調子で素気無く一蹴されてしまい、何のお役にも立たなかった。
オレは少しばかり気分を害して(まあ、それも自業自得なんだけど……)ムッとしていたら、律はオレの頭をポンポンと宥めるように撫でてきた。
「……拗ねるなよ」
「……別に拗ねてるわけじゃない」
律は少し屈んで目線を合わせると、自分の額をオレの額にくっつけてきた。
「大体こんな状態で、お互い教室に戻れない、だろ……?」
あやしく押し付けられた腰の辺りから、熱く脈打つ大きな欲望を感じる。あからさますぎるそれが恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。
(うわ……ちょっとこれ、明らかにいつもよりすごい気がするんですけど……!)
布越しに感じた圧倒的な質量に、本能的に恐怖を感じて思わず後ずさりしてしまう。
「なに逃げてんの」、
律は余裕の笑顔で(……本当はこいつも、見た目ほど余裕はないはずだ)距離を取ったオレをいとも簡単に捕まえて、自分の腕の中に囲うようにして強く抱きしめた。
「に、逃げてないし……」
変な所で負けず嫌いなので、つい否定してしまう。
「コレの答えが知りたいんだろ?」
「……知りたい」
「だったら、このまま大人しく言う事聞いてな」
「でも……」
「あんまり大きい声だすと、誰かに見つかるかもしれないから、静かに、な……?まあ、別にオレは知られても全然かまわないけど」
コレ≠ニ称した自分の首元にあるキスマークの部分をとんとん、と指先で叩きながら、とんでもなく恐ろしいことを爽やかな笑顔でさらりと言った。
「それに……『論より証拠』だ」
オレが少し前に考えた『百聞は一見に如かず』みたいなことを言った律は、お喋りはもうここまで、と宣言するかのように、一瞬軽く唇を合わせてから、今度は貪るように深く舌を入れてきた。
「……んっ……ぁ……っん……」
熱い唇が所々肌を吸ったり、歯を立てたりしながら徐々に下に降りて来る。硬くなりつつあった胸の小さな淡い粒に辿り着くと、舌で押しつぶすようにして舐めた後、口に含んで強く吸い上げた。
「ン……っ」
ピクリと電流が走ったように身体が震えてしまったオレを見て、律は更にあいている手を使ってオレのズボンのボタンを器用に外した。
ファスナーを下ろすと、既に兆して形がはっきりとわかる熱の籠ったそれを焦らすように、下着の上から緩く爪を立てて大きく撫で上げた。
「……っ、ああっ……!」
思わず出てしまった大きな声が室内響き渡る。まずい、と咄嗟に右手で自分の口元を強く押さえて歯を食いしばったが、一度溢れ出した淫らな声を止めることは出来なかった。
「……ああっ、も、もう……」
(む、り……っ……だめ、だ……)
ついに心の中で白旗をあげてしまったオレは、遅ればせながら自らも了承の意を伝えるべく、背中に廻した両手で縋りつくように律を抱きしめると、目の前にある薄く色づいた赤い痕の残る綺麗な首筋に、小さくキスをした。
*****
「ええ―――っ!」
思いもよらぬ衝撃的な事実に、オレはここがどこなのかという事もすっかり忘れて力一杯、叫んでしまった。
……ただ、さきほどまで散々とあることで酷使されていた喉は痛々しく枯れていて、たいして大きな声にはならなかったけれど。
「う、嘘……っ……オレ、そんなの全然覚えてない……!」
もう放課後だというのに(あれやこれやと、あらぬことを致していたら、結局六時間目の授業は終了してしまいました……)きっちりネクタイを結んで、上着を羽織っている律の言葉に、思わず耳を疑った。
「嘘じゃないよ。ほら、証拠」
律はさっき結んだばかりのネクタイをわざわざ解いて、第二ボタンまで外すと、まだ汗で少し濡れている素肌を露にした。
「あ……」
結局流されるようにして始まってしまったコトの最中の間もずっと気になってしまって、それこそ穴が開くくらい何回も見ていた例の場所には、この部屋に入って確認した時には確かに一つだけだったはずのキスマークが、今は二つになっていた。
「それ、ほんとに……オレ?」
事実を目の辺りにしてもどこか半信半疑だったけれど、何度見直してみても、その二つの赤い痕の存在は変わらない。
「気がすんだ?」
律はボタンを元通りにはめると、外してしまった自分のネクタイはそのままにして、机の上に座って宙に浮いた両足をぷらぷらさせているオレの前までやって来た。だらしなく全部開いてしまっているシャツのボタンを見て、ご丁寧に上から一つずつ閉めていく。
(……あ。どうも、ありがとうございます……)
「だからお前がつけたんだって。勿論、あらぬ疑いをかけていたこっちのキスマークも、正真正銘、昨日、お前が」
(―――き、昨日!?)
ええっと、昨日っていえば、確か……律が生徒会の用事で、帰るのがいつもよりも遅くなっちゃって……で、ええっと?
……ああそうだ、いつもだったら律は一旦自分の家に帰ってから夜予備校に行くんだけど、昨日は帰ってる時間ないからって、オレの家からそのまま直接行くことになったんだよな(予備校は律の家よりもオレの家から行った方が断然近い)
(そうだ、それで……?)
オレの家で、普通にオレが作ったおいしーおいしい(ここ、なにげに強調)夕ご飯を二人で食べて。
それから……それ、から―――……
『駄目だって!今、これ洗ってるんだから……っ』
『そんなの後にしろ。……時間ないんだから、ほらはやく』
夕食の後片付けをしている時、ついでだからシャワーも浴びていくと言った律に、無理矢理バスルームに連れ込まれて……
『……んっ……あっ!そ、そんなにしたら、もう……っ……も、もっと……ゆっくり、し、して。じゃないと、オレ……っあ……っ!』
『もっと……なに?……こう?』
『ああっ……!ば、ばか、も……ほんとに……んっ……』
『ゆっくりしてたら、予備校に遅れちゃうだろ……?……っだから悠、もっと、腰振って……?……っそう、もっと……』
―――そうだ。なんでも予備校始まるまであんまり時間がないから、とか言って(……ってか、そもそも時間ないならやめとけ、って、話)明らかにいつもより、随分強引だったっていうか……は、激しいっていうか……
『―――っ……り、律……っそんなと、こ……っ……あと、残った、ら……ぁんっ……!あ、明日体育あるし……も……もう無理、だって、ば……んんっ!』
『大丈夫。人目につくとこには、つけないから……ほら……まだ全然、いけるだろ―――?』
……そんな感じだったから、オレも途中からあまりの気持ち良さに、すっごい飛んじゃってて……
(……って、うわああああああ!ぎゃああああああ!)
うっかりいらぬ事まで色々思い出してしまい、せっかく冷めかけていた頬がまた熱を持ってきた。慌てて雑念を振り払うように首を二・三回振った後、頬を軽くぺちぺちと叩いて、気合を入れ直す。
―――そうだ、それで何だかんだいって無理だ駄目だと言いつつも、最終的には、その、今日のように流されたというか……あれよあれよという間に、気がついたら合計三回ほどこなしていた。
本来なら身体を洗い清める目的の場所で、いったいなにをやってるんだか……
(オレ、最近ちょっと意志が弱すぎるな……)
まあ、それはとりあえず今、置いといて……そこまでは、ちゃんと記憶もあるっていうのに。
「やっぱりそんなのした覚えない……」
キスマークのことは、何故かどうしても思い出せない。
「覚えがなくっても、したんだよ」
(いや!そんなわけない!嘘だ!)
「……」
「……」
……あのう……ツカヌコトヲオウカガイイタシマスガ。
「なぁ……も、もしかして、その……こういうのって、今回っていうか、昨日が初めてじゃなかったりとか、する……?」
「する」
(ぎゃ!即答かよ!嘘だ!)
「でもまさか、自分でやってて気づいてないとは思わなかった」
(オレだって、そんなの夢にも思わなかったって……)
「ちなみにこれ、もっと具体的な事を言うと、お前一回目の時はほとんどつけたことないよ」
(え、そうなの?!)
「ただ、二回もしくは三回までいったら、百パーセントする。お前、全く覚えてないんだろ……?だとすれば多分、無意識でやってるんじゃないの」
(なんですかそれ!なにその恥ずかしい統計は―――!)
しかも恐ろしいことに、それだとかなりの高確率でしてるってことにならないか!?
だって一回で終わったことなんて、片手で数えても余裕で足りちゃうくらい少ないぞ、おい!
……そういえばオレが律に無理矢理キスマークつけさせられたときって……今考えると、みんな一回しかしてないときじゃあなかったっけ!?
―――ってことは、ほとんどはずれなしかよ!
(うわああマジありえない!絶対ありえない―――!)
「―――そういえばお前、朝も寝起きの時は全く記憶がないよな」
「エッ、そうなのか?!」
「そうだよ。俺も気が付いたのは最近だけどな。だから多分、あれは無意識の癖みたいなものなんだろ」
(―――無意識の癖―――)
……そんなのがあったなんて、オレって、なんて奇天烈なヤツなんだ……!いっそのこと知らないままでいた方が良かったかも……恥ずかしすぎて、一体どうしたらいいんだ……
「……」
オレは言葉を発する気力もなく、途方に暮れて項垂れた。
「はい、完了」
二人分のネクタイを結び終えた律は、オレの顎を指で掬い上げると、慰めるように唇を小さく舐めた。
「……ん……」
そのまま口の中に入ってくることはしないで、唇の表面をただ撫でているだけの優しい口付けだった。
大人しく受け入れながら、ぼんやりと思案に耽る。
(―――それにしても、これっぽちも覚えていないって、そんな摩訶不思議なことがあっていいのか……)
律の唇をお返しに小さく噛んで、ゆっくりと離していく。連日酷使されて怠さを訴える腰を両手で抑えながら、座っていた机から降りた。
(とにかく、知ったからには、今度から色々と気をつけなくちゃだな……)
特に体育の時とか、うっかり痕をつけて人に見られたら大変だ(そういえば、この件は一彦にツッコミを入れられたことから始まったんだっけ……)
……そこでふと、オレはあることに疑問を持った。
(……あれ、ちょっと待てよ?!)
「……律。今日体育の授業があること、知ってたよ、な?」
「知ってたよ」
「で、オレがこういう……み、妙な癖があるんだってことも、知ってたんだよ、な?」
無意識でやっていた、っていうのは、わかんなかったとしても。
「うん」
確実にその……二回、もしくは三回すれば、オレが自分の意思に関係無くキスマークつけちゃうって、ちゃんとわかっていた、ってことだよな?
「じゃあ、なんで昨日……」
(お風呂場で、三回も……え?え?)
「逆。……知ってるから、だろ?」
「……っ!」
目の前にいたのは爽やかな王子様などではなく、青くなっているオレに向かって黒い笑みを惜しげもなく晒している、地獄の悪魔だった。
(え―――っ!わ、わざと!?確信犯!?)
せっかくオレが体育の前日とか、人に見られるかもしれない危険日(って、何かこの言い方結構やらしいと思うのは、オレだけですか……)には、そういう痕跡を自分の身体に残させないよう気をつけていたのに!(服で隠れない場所限定だけど)
(肝心のオレが自らお前につけてちゃ、全く意味ないじゃん!律のあほ―――!)
「どうして人に見つかるようなことを、わざわざするんだ!馬鹿なの、お前!?」
「だって、見せたいから」
「な、ん、で!」
「お前が可愛いから」
「は!?」
(意味わからん!日本語しゃべれ律!)
「は、じゃなくて。……真面目にお前のことが可愛くてしょうがないから、皆に見せつけてやりたくなるんだよ」
―――悠生はこんなに、俺のことを愛しちゃってるんです―――って。
律はオレの両脇に手を差し込むと、まるで小さな子供をだっこするみたいに、両手で抱き上げた。
「あ、あ、愛なんてしておりません!断じて!滅相もない!」
「またそんな、御謙遜を」
「ほんとにしてないし!」
「ふうん?―――無意識にキスマークつけちゃうほど、俺のこと好きなくせに?」
(それは言うなよ……あーなんか、でっかい弱みを一つ握られた気分だな……)
「……しかも疑ってたんだろ?俺が誰かと浮気したんじゃないかって」
(そ、それは!まあ……その……)
「疑ってたっていうか……」
「……心配だった?」
ん?とオレよりも目線が低くなった律が、真っ赤になっているオレの顔を下から覗き込むようにして訊いてくる。
「ちょっと、だけ……」
間近で感じる穏やかな視線と甘い仕草に誤魔化しきれなくて、少しだけ本音を晒した。
「……っ」
なんだか居た堪れなくなって、顔を見られないよう律の首にぎゅっとしがみつく。
「全く。俺のどこを見て、そんな有りえない事思うわけ」
「だって」
(まさか犯人が自分だなんて思わなかったし……律、すごいモテるし……絶対言ってやんないけど、格好良いし……)
「俺もかなりの心配性だけど、お前も結構、潜在的にそういうとこあるな」
(潜在的って……)
それが暗に例の癖のことを言っているのだとわかって、それ以上言うな!という意味を込めて、眼下にある律の髪を引っ張ってやった。
確かに、律の言う事はあながち外れていないと思う。
そもそもキスマークというのは、好きな人が自分のものだという証を少しでも残したくてつけてしてしまう行為なのだから。
「悪うごさいましたね!心配性で思い込み激しくって、おまけに変な癖まであって。……あ〜、どうにかしてこの癖直せないかなぁ……」
首に回していた両手を肩に置いて、今度はオレが上から律を覗き込んで言った。
(でも癖って中々直らないんだよなあ。しかも無意識ときてるし)
「何で?直す必要、全くないし。むしろお前、癖までそんな可愛いなんて、反則」
―――これ以上俺のこと夢中にさせて、どうすんの?
穏やかに微笑みながら、自分の方がよっぽど人の心臓を突き破るような、ルール違反な事を言ってくる。
「……馬鹿」
愛しくて仕方ないんだと言外に伝えてくる律の熱い眼差しに、胸が切ない疼きで甘やかに満たされていく。
自分の中で溢れ出しそうなほど大きくなった律への気持ちが、オレの心と身体を全て、ドロドロに甘く溶かしてしまうから―――もうどうしようもなくて、苛烈で真摯な眼差しから逃げるように瞳を伏せた。
律は何も言わず、今日だけでもう何度目になるかわからない、あたたかくて優しい羽根のように柔らかな口付けを、閉じた瞼にそっと落とした。
【ACTX】END