【PM1:00の恋】


「日高ー!あさって駅前のカラオケ行くんだけど、お前もどう〜?」

 

時は週末。

学生にとっては一番嬉しいお休み前の金曜日。

本日の授業も無事終わり、そそくさと帰り支度をしていたオレ、日高尚耶(ひだかなおや)に同じクラスの友人である川上がにこやかな笑顔で、先週と全く同じ誘いをかけてきた。

「…あ〜…ごめん。オレ、バイト」

そしてオレもまた川上に倣うようにして、先週と同じく簡潔に理由を述べてお断りする。

一応、申し訳なさそうな顔をしておくのも忘れずに。

「え、また?!この前もバイトじゃなかったっけ」

「うん。日曜は午後から夕方まで毎週入ってるんだ」

教科書を鞄にしまいながらそう言うと、しかし川上は先週のようにすぐにはひかず、オレの机に両手を突いて身を乗り出してきた。

「なんだよ〜。こないと絶対に後悔するぞお〜!!なんていっても今回はあの、聖女のお嬢様がいらっしゃるんだから!」

「…あ、ああ〜…そう…、なんだ」

川上のいつになくテンションの高いこの浮かれた様子は、聖女の子達とカラオケを兼ねた合コンが理由らしい。

オレの通う私立西園寺高校は、右を見ても男、左を見ても男、視界に入る全ての生徒がおとこおとこおとこ一色、のむさくるしい世界。……つまり男子校だ。

したがって麗しき女子生徒の皆様とは、コンパのような出会いの場を設けない限りあまりお近付きになれることはなかった。

例外的にごく一部の限られた生徒は、近くにある公立高校の生徒達からやれラブレターだのファンクラブだのと、どこぞのアイドルなみにきゃあきゃあ騒がれているらしい。が、オレを含む殆どの庶民派の生徒は、彼女が欲しければそれなりに自分から動かなければどうにもならないのが現状だ。

そんなオレらにとって、滅多にない贅沢で豪華な夢のセッティングに目をきらきらと輝かせた川上は、な!すげえだろ!と意気込んでオレの同意を求めてくる。

いや、う〜ん……まあ。

ちょっと前のオレだったら多分、嬉々として飛びついたんだろうけど。

「今からだと、もう休みとれないから。ほんとにごめん!…じゃあ、また来週っ!」

「あっ!ちょっと日高…っ」

背を向けてひらひらと手を振りながら小走りで逃げるように教室を出た。

ここのところ毎週のようにこの手の誘いを断っているので多少気は引けるが、バイトの為なら致し方ない。

友情よりも、バイト。

花のお嬢様女子高生との出逢いよりも、バイト。

今のオレにとって、胸がわくわくそわそわするような、ときめき、なんて恥ずかしくも乙女ちっくな言葉を体感できる時間を齎(もたら)してくれるのは、カラオケでもなく、合コンでもなく。

――――大好きな人に会える、週に一度のコンビニのアルバイトだった。

 

「ナオ、今日これ終わったら、ちょっと時間有る?」

「…あ、うんっ…じゃあなくって、はい!あ、あります!」

休日ながらお客の入りも落ち着いた頃、レジでぼうっとしていたオレは飲料水の品だしを終えて戻ってきた彼の言葉に、つい普段友達と話しているような感じで気軽に返事をしてしまった。

慌てて取り繕うように言い直したオレに、

「よかった。じゃあまた帰りに二人で夕飯食べていかない?」

そう言ってにっこり笑いながら、西島さんはオレの髪をくしゃくしゃと撫でてくる。

少しくすぐったくて、オレは目を瞑りながら頷いた。

「どこ行きたいか、場所考えといてな」

ポンポンとオレの頭を優しく撫ぜる手を、そっと目を開けて下から見上げる。

その右手の薬指には、銀色に鈍く光るペアリングが今日も変わらずにつけられていた。

 

毎週日曜、午後1時から5時まで家の近くにあるこのコンビニでオレがバイトを始めたのは、約半年前の事だ。  

最近になってオレはこの職場で生まれてはじめて、運命の相手とでもいうべき人(無論、オレが一方的にそう思っているだけなので、あしからず。)に出会い、自分と同じ性を持つ……端的にいえば男の人に。

ほとんど一目惚れに近い、恋なんてものをしてしまった。

一ヶ月前にオレと同じく休日オンリーのバイトで入ってきた、西島千晃(にしじまちあき)さん。

20歳の大学生で…名前だけ聞くと一見女性かと思われる様な中性的な名前ではあるが、れっきとした男性だ。

直接的な面識はなかったけれども、オレの高校の卒業生(つまり先輩)でもある。

よく一緒のシフトになることが多いからか、はたまた同じ高校のよしみもあってなのか、人懐こく社交的で面倒見の良い(…という印象だ。少なくともオレからみた彼という人物は)西島さんは仕事が終わってからいつもオレに夕飯を御馳走してくれる。

はじめて二人で御飯を食べに行ったとき、がちがちに緊張していたオレを見て苦笑しながらも呆れずに優しく色々話しかけてくれた。

その時に「日高君っていうのもなんかかたっくるしい感じだし、ナオって読んでもいい?」と言われ、オレはいちもにもなくソッコーで何度も頷いていた。

今思えばこのときもう既に、オレは彼のことが好きだったのかもしれない。

だって、すごく嬉しかったんだ。

名前で呼んでもらえる、ただそれだけのことが、とても。

そして今日もまた例に漏れず、この後の予定を聞かれたオレは、顔には決して出さないようにして、心の中だけでひっそりと一人嬉しさに舞い上がっていた。

 

「ところでナオさ。今のはい≠カゃなくて、うん≠ナいいんだよ?敬語使わなくても大丈夫。タメ口で全然オッケーなのに」

「…はい。あ、あのでも、オレのが下だし…その」

「年はね。でもここ入ったのはナオの方が早いんだから、仕事ではおれが後輩だよね?」

「そうですけど…」

でも実際会ってまだ日も浅い人に対してすぐにタメ口っていうのは、自分的にちょっと抵抗がある。

しかもそれが自分よりも目上の人なら、尚更。

「もしかして、まだおれに慣れない?遠慮しちゃう?」

「え…っと。いえ、そんなことは…ないです、けど」

ちょっと困った顔をしたオレに、

「あ。でも勿論強制じゃないけど。敬語とかなしの方が、ナオともっと打ち解けられるかな〜って思ったからさ」

そう言って西島さんは悪戯っぽく微笑んだ。

多分これは無理そうだと思って、早々にフォローしてくれたんだろう。

オレはどちらかというと、大人しいとか物静かとか、そういう部類に入るタイプの人間だ。

一回仲良くなっちゃえば全然平気なんだけど、初対面の人や年上の人が相手だと少し人見知りしてしまうところがある。多分そんなオレの性格をなんとなく察していて、気を使ってくれているんだろう。

優しいから、この人。

…でも打ち解けるも何も、既に心の扉全開に開いちゃっているんだけどな。

まともに目も合わせられないのは、いつもの人見知りが発動しているせいではなく、遠慮しているからでもなく(まあそれも多少はあるけれど)、貴方の事がすきだからなんです。

……とはいえるわけもなく。

「あの…お気づかいどうもありがとうございます……」

的外れかもしれない御礼の言葉をぼそぼそと呟くだけで精一杯だった。

「え、ここ感謝するところ?……あは!ナオは真面目でいい子だなぁ…ほんとに」

目を少しだけ細めて笑う、優しい顔。

オレが一番好きなこのひとの笑顔。

真っ直ぐにオレの心臓を直撃して、鼓動がざわざわと騒ぎ出し、軽い呼吸困難に陥る。

見惚れながらこっそりと表情を観察していると、左目の下に小さなほくろがあるのがわかる。

これ、泣きぼくろっていうやつなのかな。

それがとても……その、男の人につかうのにはあまり相応しくない表現なのかもしれないけれど、妙に色っぽくて、みる度にいつもドキドキしてしまう。

なんでおとこがおとこにこんなときめきかんじちゃってんの、おかしいだろ。しかもいろっぽいって、なんだそれ、おまえばかなんじゃないの、そんなことかんがえることじたいふもうすぎるよもうやめておけ。

――これ以上はもう考えるなって。

頭の中で冷静かつ良識的な真人間であるもう一人のオレが警鐘を鳴らすようにそう囁く。

けれどもそんなまともな世間一般常識なんかは、いつもその魅力的な笑顔一つで、いともたやすく破壊されてしまうのだ。

そうして後に残るのは、並んで立つと見上げるほどに高い背がすごく羨ましいだとか、茶色に染めた少し長めの髪を額からかき上げる仕草が本当に格好いいなあとか、ふと横を通り過ぎるときに鼻腔を甘く掠める大人っぽい香りのフレグランスが心地よいとか。

そんなことばかりだった。

よく通る落ち着いた少しハスキーな声がナオ≠チてオレの名前を呼ぶたびに、どきどきして、そわそわと落ち着かない気分になる。

優しい笑顔で真っ直ぐ見つめられると、胸の中がせつない疼きで一杯に満たされていく。

まだ出会ってから、たったの一ヶ月。

されどそのひと月の間に、オレは心の全てを奪われるよう様に、彼に恋をしていた。

――――――永遠に実ることのない、一方的な片思いだと知っていながらも。

 

***

 

「お疲れ様でしたー!」

PM5:15。

予定終了時間を少しオーバーして、本日の業務終了。

次の時間帯のバイトと交代して帰り支度をすませる。

1週間、待ちに待ったこの時間。

胸を躍らせながら先に裏口から外に出たオレの元に、

「こんばんは!……えっと…日高、くん?」

可愛らしい慎ましやかな女の子の声が背後から耳に届いた。

「……あ……。」

聞き覚えのある声にまさか、と思って恐る恐る振りかえると、予想通り今オレが一番見たくない人の姿がそこにある。

170cmジャストのオレよりも10cmは悠に背の低い、一見しただけでスタイルが良いとわかる可憐な容姿をした女の子が、にこにこと、屈託の無い笑顔を惜しげもなく晒して立っていた。

木村彩花(きむらあやか)さん。

彼が肌身離さずいつも身につけているペアリングの片割れの持ち主……西島さんの彼女だ。

西島さんと同じ大学に通う彼女は、西島さんよりも一歳年下の19歳で、オレからすると2歳年上になる。

大きな二重が印象的なやや童顔タイプの顔立ちは、美人というよりは可愛いという感想を抱かせ、自分の方が年下ながらも、思わず守ってあげたくなってしまうというか、庇護欲を感じさせる。

肩より少し長いこげ茶色の髪はふわりとした柔らかい曲線を描くカールが綺麗に巻かれていて、彼女の持つ甘い雰囲気にとてもよく似合っていた。

細身ながらも出る所はしっかりでている、まさに男にとって理想の体型に見合った彼女の着ている今日の洋服は、夏らしく薄手の清潔感溢れる真っ白いキャミソールに、ひらひらしたレースが幾重にも重なったグラデーションの色鮮やかなミニスカートだ。

適度に日に焼けた健康的で美しい素肌は男なら誰しもが一瞬目を奪われるに違いない。

…同性に恋心なんてものを抱いてしまっているオレですら、そうなんだから。

……ああ、やっぱりすごく可愛いな、このひと……

彼女をはじめて見た時に感じた感想を、今日また改めて絶望的な思いで実感してしまう。

おんなのひと…っていうだけでも、十分あの人の隣にいる資格があるというのに。

恋人≠フ立場にいても、あれほど魅力的な彼に何の遜色も無く、胸を張って対等でいられる存在のこんな人が、よりにもよってライバルだなんて。

…いや、そもそも男のオレが勝手に好敵手だなどと偉そうに考えていることが既に間違いなのだろう。

図々しくて、おこがましいにもほどがある。

どこをどうとっても勝ち目のない、この不毛な恋。

未来のない、恥知らずな苦しい片思い。

そんなことは勿論嫌と云うほどわかっていた。

…でも、やめられないんだ。

たとえどんなに報われなくても、想いが叶わなくても。

彼のことがどうしようもなく好きだという、鋼のように強固で、でも硝子細工みたいな脆さを持つ懸命で確固たるこの気持ちは、世界中の誰にも……自分自身ですら、もう止められないのだから。

「こ…こんばんは…」

失望につい下がってしまいそうな声のトーンを、少しでも上げるように意識して返事をした。

会うのは今日で2回目になる。

ちなみに彼女の存在を知ったのは、つい先週のことだ。

「お仕事お疲れ様です!……あれ、ちィちゃんは?」

彩花さんは西島さんのことをいつも「ちィちゃん」と呼んでいる。

すごく可愛い彼女にぴったりな、微笑ましくて愛らしい呼び名だ。少し甘えるようなその言い方は、彼女だからこそ許されたものなんだろう。

恋人でもなければ女の子でもないオレには、絶対にその愛称を口にする日はこないのだろうなと、諦めのはいった羨望の眼差しをつい彼女に向けてしまう。

こんな小さいことを気にしてるオレって、なんて女々しいんだと密かに自己嫌悪に陥りながら、「あ、西島さんなら、すぐにくるとおもいます」と、最近やっと板についてきたしょぼい営業スマイルで答えた。

彩花さんがここにきたって事は、今日の御飯はきっと中止だよな……あーあ……

落胆を悟られないように下を向いてそっと溜息をついていると、「あれ、彩花?なに、どうしたの」と西島さんの少し驚いたような声がする。

「ちィちゃん!おつかれさま〜っ!」

彩花さんはオレに声をかけたときよりも1オクターブくらい高めの滑らかな声で労いの言葉を紡ぎながら、遅れて出てきた西島さんにすかさず駆け寄っていく。

もうオレのことなんて全然見えていなそうだ。

結構わかりやすいなあ、このひと……

「最近日曜日はいつもバイトで会えないから、ここまで来ちゃった!…ね、今日これから、ちィちゃんの家にいってもいい?」

二人の会話をさりげなさを装って、必死に耳を傾ける。

家に、という単語に思わず心臓がぎくりとした。

西島さんは大学近くのアパートで一人暮らしをしている。そこへ行くということは、当然二人はそういう仲なのだから、きっとこれから恋人らしい時間を過ごすのに違いない。

そこまで瞬時に思いを巡らせて、なにを下世話なことを考えてるんだ、オレ、と先程よりも更に落ちこんでいたら「今日はこれからナオと御飯食べに行くから、駄目」

凛然とした声で予想外な西島さんの返事がかえってきた。

「え……っ……」

「ええ〜っ!!」

オレと彩花さんがそれぞれ同時に驚きの声を上げて西島さんを見る。

「ナオ、行きたいところはもう決まった?」

オレの大好きで堪らない笑顔を向けて、数十分前にしたのと同じように大きな掌でオレの頭を撫でながら、優しくそう訊いて来る。

………うわ…っ、ど、どうしよう…、ちょっといま、泣きそうかも……

多分深い意味はないのだろうけど、きっと、こっちの方が先約だったからに違いないけど、…自分から誘った手前、律儀で誠実な性格だから、オレに申し訳ないとか思ってくれてるからなのだと、わかっているけれど。

彼女よりもオレとの約束を優先してくれたことが、滅茶苦茶嬉しくって、思わず胸の奥がじわりと熱くなる。

ああ…、やっぱりオレ、このひとのことが好きだ。

ものすごく、すきだ。

「ひどい……せっかくちィちゃんに会いにきたのに…」

先程の元気な声とは打って変わった、か細く悲しそうな声音にハッとして彩花さんの顔を仰ぎ見る。

眉間に小さな皺を寄せて唇を噛んでいる彼女は、西島さんではなく、何故かオレのほうを恨みがましい目つきでじっと凝視していた。

―――-あ……、そっか。

浮かれてる場合じゃない、よな……

「あの……オレ、今日は帰ります、ね。すみません、西島さん」

多分さっきのことがなかったら、きっとこんな風に言えなかった。

けれど西島さんが、一瞬でも、気まぐれでも、オレといることを選んでくれた事で、自ら引くことが出来る。 

オレは一抹の寂しさを感じながらも、これだけでじゅうぶんだ、これ以上は望んじゃいけない、と自分に強く言い聞かせた。

彩花さんはオレの言葉に、ようやくほっとしたような表情をして笑顔を見せる。

やっぱり、これが正解だ。

少しだけ疼く胸の痛みを抱えながら、それじゃ、お先に失礼します、と二人に挨拶をして帰ろうとしたオレに、

「なんで?……ナオ、今日は時間あるって言ってたよね?」

西島さんが不思議そうに聞いてくる。

……………え。ええっ?

「は……あ。あの、時間は、そりゃ、ありますけど……」

でも今は彩花さん来てるし、どう考えてもここはオレがお邪魔むしなわけで。

「時間あるならなんで帰ろうとするの?もしかしてお腹すいてない?」

いや、そうでなくって……

真顔で直も聞いてくる西島さんに、彩花さんも怪訝そうにしている。

眉間の皺が心なしかさっきよりも増えているような気が。

多分怒ってるんだろうな、これ……

「えっと。……せっかく今日彩花さん来てくださってるから、オレは遠慮したほうがいいかな…って」

ぼそぼそと小声でオレがそういうと、

「………ああ。そっか…、ごめん。おれ、気ぃきかなくて」

と、オレになのか彩花さんになのか、どっちに対して謝っているのかよくわからなかったけど、西島さんはどこか釈然としない表情でそう謝罪した。

「……あ、いえ…」

「…………………」

「…………………」

なんともいえない、しらっとした気まずい空気が流れ始めたのを感じた。

ここはさっさと退散した方がよさそうだと判断する。

「あの、じゃあ、そいういことで…」

軽く会釈をして踵を返しそうとしたオレに、

「あれっ、もしかしてそこにいるの、尚耶じゃな〜いっ?」

本日2度目の、聞き覚えのある(というか、毎日聞いている)声から呼び止められる。

声がするほうを見ると、ちょうどコンビニ入り口のゴミ箱のある辺りからこっちをみている制服を着た女の子と目が合った。

 

***

 

「あおい……」

「やっぱり尚耶だ〜!なに、今バイト終わったの〜?」

「ああ、うん。これから帰るとこ」

「えっ、そうなんだ。じゃあ一緒に帰ろうよ。あたし部活やってきておなかすいちゃったからさ、コンビニでおにぎりでも買おうとおもってたんだけど。ちょうどよかった!帰りにマックかミスドつれてって〜!」

そういってオレの元へ走ってきたその子は、オレの腕に自分の腕を絡ませて猫なで声で甘えてくる。

…まったくこいつは、しょうがないな。

「つれていくのはいいけど、お前、またオレに全部奢らせるつもりじゃないだろうな?」

「えへっ!いいじゃんべつに。なおちゃん、バイトしてるんだしー!」

別にきみの為にしてるわけじゃないんだけどね…

それよりおまえ、呼び捨てはともかく、兄に向かってちゃんづけはよしなさいって。

「えっ……。ね、もしかしてその子、日高君の彼女?!」

ひとしきりそうして話をしていると、暫しの間二人の存在をわすれていたオレに、彩花さんがにこにこと興味津々な面持ちでオレにきいてきた。

「あ……いや、こいつは…」

オレの妹です、とオレが説明するより早く、

「そうでーす!!尚耶がいつもお世話になってまぁす!」

何を思ったかこの馬鹿は、全くもって事実無根なことを横から言ってきた。

おいおい…いつからオレがおまえの彼氏になったんだよ…まったく。

オレの1歳年下で高校1年生の葵(あおい)は、兄妹だけど顔はあまり似ていない。

しかも実年齢よりも大人びて見えるこいつと二人でいると、よくオレのほうが年下(つまり、弟か?)にみられることが多かった。

性格もおとなしめなオレとは真逆で、明るくて積極的なタイプだ。

…ただ、明朗快活なのはいいんだけど、たまに悪ふざけがすぎるのが欠点というか。

今日もまたいつものおふざけの悪ノリが始まったらしい。

「えっやっぱりそうなんだ〜っ!あっ、こんにちは、はじめまして」

「こんにちは、…えーっと、尚耶と同じバイトの方ですか?」

「あっわたしはちがうんですけど……」

女同士で始まった会話を尻目に西島さんを何気なく見ると、思いもかけず強い視線でみつめられてドキリとする。

「………彼女なの?」

「え……っ」

いつもよりも少し硬い声で聞いてくる西島さんは、さっきまでの穏やかな笑顔や、ちょっと困ったような顔はどこにもなくて、どこか冷たい空気が漂っている。

「あの…西島、さん…?」

少し細めた目はいつも彼が笑う時と一緒なのに、その瞳の中に今までみたことのない剣呑な光が宿っていて、思わず息を呑む。

……あれ。ちょっと、いつもと様子が、ちがう…?

見慣れない西島さんの冷然とした態度に固まってしまい、なかなか返答を寄越さないオレに焦れたのか、

「――――あの子。ナオの彼女なの?」

さっきよりも更に強い口調で再び問いただしてくる。

なんか、西島さん、もしかして機嫌わるい?

え、なんで急に?

「いえ…あの、ち…ちが……っ」

「―あっ!あの〜すみません。もしかして、にしじまさん、ですか?」

訳がわからずにオレがしどろもどろになって答えようとした時、この不穏な空気に気づいたのか葵が会話に突然割って入ってきた。

「…………そうですけど」

初対面なのにもかかわらず、いつものにこやかな笑顔がまったくないままの西島さんはそっけなく葵に返事をした。
「あ、やっぱり〜!いつもうちのおにいちゃんがお世話になってます!」

「……え?おにいちゃんって、……ナオの妹さんなの?」

毒気を抜かれたような顔をして、葵にではなく、オレに聞いてくる。

「あ、はい。そうです」

「妹の日高葵です、はじめまして!尚耶がいつもバイトのときご飯御馳走になってるみたいで、どうもありがとうございます」

妹のくせに母親みたいなことをいうなよ、オレの立場がないから…でもわが妹ながらしっかりしてる。

「ああ、いえ。こちらこそ、いつもナオにはおれの我侭に付き合ってもらってます。――そっか。ナオって兄妹いたんだ」

「はい。1歳しか違わないんですけど」

よく姉と間違えられるんですよね、あはは、と渇いた笑いを交えながらオレがそう言うと、「ああ…ナオは可愛いから」と、オレの心臓を打ち抜くような事をさらっといって、

「しっかりした子だなぁ、さすがナオの妹さんだね?」

葵を賞賛しながら、にっこりと微笑んだ。

―――あ、よかった。いつもの西島さんだ。

和やかになってきた雰囲気にほっと息をつく。

と、そこへ今度は彩花さんの溜息交じりの声が水を差すように響いた。

「なんだ、妹さんなんだ……お似合いだから、てっきり彼女かとおもったのに」

お似合いって、いわれても。

どう答えていいかわからないオレは、「はあ…、そう、ですか」と間の抜けた返答をした。

……心なしか彩花さんの声や視線にどことなく棘を感じるような気がするんだけど―――なんでだ?

「あっ、それよくいわれます!でも私は彼氏いるんですけどね〜ちゃんと。尚耶は…お兄ちゃんは、ここのところしばらく彼女はいないみたいですよ〜?……気になってる人はいるみたいですけど、今」

「ちょ…っ!!あ、あおい!」

藪から棒になにを言い出すんだこいつは!!

「ええ〜…だって、ねえ…?」
うわ、ばかオマエそこで西島さんを意味ありげに見るなってば!もう……っ!

葵はオレが西島さんのことが好きだってことを知っている。…というのも、バイトがあった日はいつも浮かれて帰ってくるオレを、妙に勘の鋭いこいつはすぐに不審に思ったらしい。

誘導尋問さながらに巧みな言葉で問い詰められて、洗いざらい全部喋らされたというか。

相手が相手なだけに他に相談できる人もいないからというのもあって、オレもついこの秘密の恋をばらしてしまったのだ。

「…………へえ、そうなんだ。その話もっとくわしくききたいな、おれ。」

ふっと真顔になった西島さんがそんなことをいうもんだから

「いや、なんでもないですから、こいつの言うことは気にしないでください…!」

慌ててオレは話を終わらせた。詳しくなんてきかれたら、色々バレちゃうじゃないか!とんでもない!

「葵ちゃん、だっけ?おなかすいてるってさっきいってたよね?よかったら、これから一緒に御飯食べにいかない?」

「ええっ!?」

西島さんの提案にぎょっとする。

な、なんでそうなるの?!

「わ、いいんですか〜?嬉しい。私も西島さんとお話してみたかったんで、是非いきたいです。ねー、尚耶?」

ねー、じゃないって、お前。

なに調子に乗ってんだ、もう!

「いや、でもあの……今日は」

彩花さんをちらっと見る。

……ああ、やっぱり。

完全に拗ねた顔をしている。

これから二人でデートだったのを邪魔しちゃうことになっちゃうわけだから、当然といえば当然なんだけど。

…だからって、なんでオレばっかり睨まれるかな……

「ナオが行かないっていうなら、妹さんだけ借りて二人でいっちゃうけど。それでもいい?」

西島さんはちょっと意地悪な顔をしてそう訊いてくる。

そ、そんな事いわれたら断れないじゃないか!!

「ちょっと、ちィちゃん!!」

―――あ。

今ので絶対彩花さんの機嫌完璧に損ねちゃったよ。

どうするんだ。

っていうか、どうしたいんだ、にしじまさん……

「彩花も行くだろ?…でもそれだと2対1で男はおれ一人になっちゃうから、ナオがいないと、さみしいよ」

どうしても、駄目?なんて甘えるように笑顔で優しく言われたら、もう断るすべも無い。

「……は、い……」

結局、ものすごくノリ気な二名と、そうでもない(というか、正直あまりいきたくない)二名の微妙な組み合わせの計四名さまで、近くのファミレスへ行くことになってしまった。

…彩花さんの視線が刺すように痛い。

だからどうしてオレだけ……

そりゃ、二人のお邪魔する原因つくっちゃったのはオレ(と、葵?)かもしれないけど。

…でも西島さんだって、ちょっとは悪いとおもうよ…

ひっそりと沈んでいると、西島さんは背を屈めてオレの耳元に、他の二人には聞こえないような小さな声で

「よかった。ナオが一緒じゃないと、行く意味ないから」

と更にダメ押しまでしてくれた。

なんていうか、もう。お手上げだ。

他愛のない一言一言に、どうしてこうも心が揺れ動かされてしまうんだろう。恋心って本当に厄介だ。

行く意味って、どういうこと?

一緒じゃないと。って、その言葉はどう受け取ったらいいんですか?

そんなこといわれたらどうしたって嬉しくて、馬鹿みたいに浮かれてしまって、有りえないことだとわかっていても、心は浅ましく身の程知らずに期待してしまう。

そして好きだという気持ちはますます大きくなるばかりで。

これだから諦められないんだ、とほんの少しの恨みを込めて、八つ当たりするみたいに足元にあった罪の無い小石を、そっと蹴り飛ばした。

 

***

 

「なんか思ってたよりも全然いい感じだったねー。もしかすると、コレは結構、いけちゃうんじゃないのぉ〜っ?!」

あれから四人で入ったファミレスでなんだかんだと2時間ほど色々話しこんでしまい、西島さんたちと別れたのはつい5分ほど前のことだ。

二人とある程度の距離まで離れた途端、葵は開口一番にそんな事を言った。

「いけちゃうって…なにが?」

「西島さんに決まってるじゃん!……だって尚耶、もうぜんっぜん望みのない、実る確率マイナス100パーセントー!みたいなこといってたでしょ?」

だって、そのとおりじゃないか……

さっきまでいたファミレスでの会話やその他諸々を思い出しながら、大きく溜息をついた。

張りつめていた緊張の糸が切れて、どっと疲れが押し寄せてくる。

怒涛のような2時間だった。

なんでよりによって自分の好きなひとと、そのすきなひとの彼女と、おまけに自分の妹同伴なんていう微妙としかいえないアンバランス極まりない組み合わせで、食事なんて……ああ、ほんとに疲れた。

「望みなんてないだろ。あんなに仲のいい、素敵な彼女がいるんだから、さ……」

勿論理由はそれだけじゃないけれど。

ただ、もう無理な理由がいちいち多すぎて、考えるたびに暗い、鬱々とした気分に陥ってしまいそうになる。

彼女がいるという事実を知ってはいても、ただ知っているだけなのと、実際に現実を目の当たりにするのとでは、それこそ天と地ほどの雲泥の差があるのだということを今日は身をもって実感させられた。

西島さんはオレ達の前で彩花さんと不用意にいちゃついたりして、場の空気を悪くする様なことは決してしなかったけれど。

やっぱり好きな人が恋人と一緒にいる所を見ているのはおもいのほかつらくて、かなりキツかった。

西島さんの心の中を占めているのは、恋人の彩花さんただ一人だけ。

そんなの当たり前のことで、最初からわかりきった事実だった。

オレなんかが入れる隙間なんてきっとどこにもない。

この恋の無力さを、希望のなさを、改めて思い知って、独りよがりに傷ついている自分が酷く惨めで滑稽に思えた。

「そうかなあ〜?私には、それほど仲がいいようにみえなかったけどね。……身内びいきでいうんじゃなくって、西島さんどう見てもあの彼女さんのことより、尚耶の方を気にしてたっぽかったよ?」

「……それは多分オレに気をつかってくれたんだよ。そういう人なんだ、西島さん」

いつもオレに嫌な思いをさせないように、やりやすいように先回りして面倒みてくれる。

優しい人、だから。

「や、気を使うとか、そういうのとは違う気がしたけどな。…それに尚耶、ずっと下向いてて溜息ばっかついてたから、気づいてなかったかもしれないけど――」

オレの前方を歩いていた葵が突然振り向いて、悪戯を仕掛けるときの子供みたいに無邪気な笑顔で、オレを下から覗きこんだ。

「な、なんだよ……」

「西島さんね。尚耶が下向いてる時も、尚耶のことず――っとみつめてたよ?しかも、恋人に向けるみたいなあつぅ〜い眼差しで、すっごく優しい顔してた!!」

「な…っ!なにいってんだお前っ、か、からかってんのか?!」

みつめてた、って…それはたまたま西島さんの目の前にオレが座ったから、ただ目線がこっちにきてたってだけだろ!妙ないいかたするなよ!……なんかちょっとだけ、嬉しくなっちゃうじゃないか……

「いやいや、ほんとに。アレはただの後輩を見る目つきには到底おもえなかったけどなあ〜。……なんていうかこう、視線に色気を感じるっていうの?コトバじゃなくて、目で口説かれてる感じ。――だまっててもフェロモン垂れ流しだよね。西島さんって、相当モテるんじゃない?」

ああ…それすごくわかるかも。

そうなんだ。特にあの泣きぼくろの辺りとか、めちゃめちゃ色っぽいんだ。――やっぱりそう感じるのって、オレだけじゃないんだな。

「うん…でも、多分意識してやってるわけじゃないとおもう…」

「ああ〜…、まあ、ねェ。でもあたしに向ける時の視線と尚耶のこと見つめる視線って、明らかに違かった気がする。それに西島さんがしてきたあたしへの質問って、ほぼ尚耶のことばっかりだったし」

「えっ…そ、そうだったっけ?」

正直あんまりあの場に居たくなくて、ほとんど会話にも入らないでいたから、どんなことを話していたかなんて全然覚えていなかった。

……しかも西島さんの横にぴったりと寄り添うように座っていた彩花さんにずっと睨まれてるような感じがして、折角西島さんがご馳走してくれたご飯の味もほとんどわからなかったし。

「そうだったよ!特にあの、尚耶の気になるひと≠フことについてとか、うまく言葉をかえてさりげなく何回も同じこと聞かれたし。まるで誘導尋問うけてる気分だったもんあたし」

誘導尋問?…それはオマエの専売特許じゃないか。

西島さんをお前と一緒にするなよ!

「大げさだよ。別に深い意味はないと思うけど…」

「そんなことないって!――女の勘って結構すごいんだよ〜!?アレは絶対、脈ありとみた!…多分、あの彩花さんってヒトもそう思ってるから、尚耶に態度悪かったんだって!」

「……………」

確かに態度はめちゃ悪だったけど…

会話の最中もずっとムスッとしてて不機嫌だったし、帰る時なんてもうオレとは目もあわせなかったっけ。 

好きな人の彼女に嫌われるのって、なんか複雑な気分だ。

「それにしてもさ〜、尚耶がおとこのひとを好きになったって聞いた時は、ほんと青天の霹靂!っていうか。ありえないー!!どうしちゃったのなおや〜っ!って、思ってたんだけど」

「ああ…そっか。そうだよ、な……」

オレが今まで好きになった人は全て女の子だったし、そのうちの何人かとはそれなりの期間、真剣にお付き合いしたことだってある。葵が驚くのも当然だ。

…自分自身ですら、同性を好きになってしまったなんて未だに嘘みたいだと思うし、西島さん以外の男なんて考えただけで恐ろしい。絶対に無理だ。

「でも実際に会ってみて、すごく色々納得したよ。あんな色っぽい目で始終じーっとみつめられて、恋人相手にするみたいに優しくされて。おまけに顔まで格好良くって、モデルさんみたいにスタイルも抜群なんて。…これじゃあ好きになっちゃうのも当然だよね〜」

「―――う、ん……」

「やー、実物をみるまではね。どうなんかな〜って。妹として、この恋を影ながら応援してあげたほうがいいのか、それとも尚耶がいうとおり、全然望みがないようなら、止めておけそんなの!って断固反対しようか、迷ってたんだけど」

「けど?」

「いいんじゃない?西島さん、想像以上のイケメンだったし!尚耶が思ってるほど、望みがないようにはみえなかったしね。―――応援するから頑張りなさいよ、おに〜ちゃん?」

「…ありがと、葵」

結果は言う前から駄目だとわかりきっているけれど。それでも信頼できる身内に背を押してもらえるのは嬉しかった。

………うん。

思いきって、西島さんに気持ちを伝えてみようかな。

だってこのままなにも言えずに平行線を辿っていても、いつまでも叶わない想いを抱え続けているだけで、同じ場所に立ち止まったきり、一歩も前に進めない。

言ってしまえばもう、今までみたいな関係ではいられないかもしれないけど。

―――それでも伝えなければ、終わるに終われないから。

気持ちに応えることは出来なくても、西島さんならオレの話を真剣に聞いてくれるはずだ。

そして自分ではもうどうにもできないくらいに大きく育ってしまった、彼を想う強い気持ちに、この一方的で切ない恋に。

………きっと優しく終止符を打ってくれるだろう。

「ガンバレ、尚耶」

再び送られた葵のエールに、

「うん。…オレ、がんばる」

言葉をかみ締める様にして、切なさのまじる強い気持ちで返事をした。

この想いを大好きなあの人に伝える、一世一代の決意をそっと胸に抱きながら。

 

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