(よし、今日こそは)
【三度目の正直】だ―――そう期待を胸に膨らませながらかけた誘いは【二度あることは三度ある】という、想定外の残念な結果に終わった。
「―――え。今日も……駄目なの?」
「ええっと、その……週明けにテストがあるんで、早めに帰ってその予習をしておこうかな、と思って」
「テストって、教科なに?数学だったら結構得意だから、教えられるよオレ」
すんなりと諦められず、駄目もとで何とか食い下がってみるものの。
「だっ、大丈夫です一人で出来ますから、どうぞお気遣いなく!」
どこか焦った様子の後輩に速攻お断りされてしまう。
「あ……そう?」
「テスト英語だし……すみません、影山先輩」
申し訳なさそうに謝罪されて、心の中で落胆しながらも、表面上は精一杯の笑顔を装って「気にしなくていいよ。また今度なー」と返した。
(これで三連敗かあ)
顔を見られないように俯いて、こっそりと溜息を吐き出す。
今週と先週、それに先々週と立て続けに誘いを断られてしまった。ただの偶然かもしれないけれど、さすがにちょっとへこむ。
(なんで部屋デートはNGなんだろう……)
オレが同じバスケ部の柏と付き合い出してから明日でちょうど一ヶ月になる。平日は毎日のように一緒に帰っているし、休日だってデートに誘えば必ず応じてくれるけど、その後の誘いは必ず断られていた。
例に洩れず今日もそうだ。今日は朝から二人で待ち合わせをして、以前から一緒に行こうと約束していた映画を観に行った。映画は全米ナンバーワンと銘打っているだけあってとても面白かったし、昼食で久しぶりに食べた季節限定の月見バーガーは相変わらず美味しくてお腹も大満足、帰り際に立ち寄った靴屋で買ったお揃いのシューズは、デザインが格好良くて値段もお手頃だった。
そんな感じで、終日いい雰囲気で過ごせたから、今日こそはいけると内心期待していたのに。
(これじゃいつまでたっても、仲がいいただの先輩と後輩だ)
柏とは一ヶ月ほぼ毎日一緒にいたけど、最初のキス以来進展らしい進展がなかったから、そろそろ次のステップに進めたらなあ……なんて思っていたのに、こう何度も断られるとちょっと自信がなくなってくる。それにお断りの理由が勉強っていうのも、いまいち納得できないというか腑に落ちない。
雰囲気から察するに、本当の理由は別にあって、ただそれをカモフラージュするために言っているような気がするのだ。
(まさかとは思うけど、柏、他に好きなひとが出来たとか……?)
思い浮かんだ一つの疑惑に胸がチクリと痛んだ。こうして一人悶々と考えていると、段々悪い方向へ思考が流れていく。よからぬ妄想に頭を悩ませているくらいなら、思い切って本人に確かめてみるべきだ。
「ねえ柏。ちょっと訊きたいことがあるんだけど、いい?」
「あ、はい」
「オレたちって、その……付き合ってるんだよね?恋人同士、なんだよね?」
オレの唐突な質問に柏は驚いたように目を見張った。
「えっ……勿論そのつもりですけど、俺」
当然のように肯定されて、ひとまず安心する。これでもし違います、とかそうだったんですか?なんて言われたらどうしようかと思った。
「じゃあさ……オレのこと、好き?」
「はっ?え、ええっ!?……あの、ももも、勿論……!」
さっきよりも大分上擦った声でどもりながら言われた『勿論』の言葉が、心の中に優しく染み込んでいく。
「そっか……良かった」
でも、それならどうして部屋に来てくれないの―――?
本当はそう続けたかった、言葉。だけど。
「先輩……?」
今日は一日楽しかったし。柏の気持ちもちゃんと確認出来たから、この話はまた後にしよう。
―――そう自己完結して、
「……帰ろっか」
結局理由を訊けないまま、他愛もない話をしながら家路に着いた。
***
翌日の下校中、いつものように談笑しながら歩いていると、柏がローソンの前で急に立ち止まった。
「影山先輩、ちょっとコンビニ寄っていってもいいですか?」
「いいよー。何か買いたいものでもあるの?」
「はい。あの、ローソンのぎゅっとシリーズって知ってます?」
「知ってる。あれ美味しいよね、チーズが特に好きかな」
「ですよね!俺もチーズが一番好きで、あとショコラの方も好きなんですけど。あれは本当に上手いですよね、コンビニスイーツの革命すげえって思いましたもん!」
目をキラキラ輝かせながら力説する姿が無邪気でなんだか微笑ましい。思わずクス、と忍び笑いを漏らすと、それに気づいた柏が少し恥ずかしそうに顔を赤くした。
「で、今日はなに買うの?やっぱりチーズ?」
「あっ、いや、そのぎゅっとシリーズに新作が出たんですよ。スイートポテトだったかな?それが食べてみたくて」
「スイートポテトかあ。秋っていろんな新商品出るよねー」
和気藹々と雑談しながら扉をくぐり店内へ入った。すぐにお目当ての商品のある冷蔵コーナーに行くかと思いきや、レジの向かいにある棚をじっと凝視している。
「何か気になるものでもあった?」
「見てくださいよ先輩、これ」
「わさび&納豆チョコレート?うわあ何これ……まずそ」
「でもどんな味なのか、ちょっと気になりません?」
「気にはなるけど……知りたくないような」
「これ買ってみます、俺」
「えっ!?買っちゃうんだ……勇気あるね」
オレだったら味のわかっているお気に入りの定番商品にしか手を出さないけど、柏は新しいものずきというか、結構冒険するタイプらしい。確かに、たまに違うのを買ってみると予想外に美味しいものが発見できる時もあるけれど。
それにしてもこれはさすがに、かなりの高確率でハズレな気がする。
「先輩はなに買うんですか?」
「オレ?うーん……そうだなあ、やっぱいつものチーズケーキかなあ」
それとも、果敢にも新境地を開こうとする柏を見習って、たまには新しいものにチャレンジしてみるべきか。
暫しの間ものすごくどうでもいい事に頭を悩ませていると、レジの前にいた他校の生徒の会話が耳に入ってくる。
『チーズにショコラにスイートポテトって、甘いもの食べすぎじゃねえの、律。見てるだけで胸焼けするんだけど』
『いいんだよ全部好きなんだから。それよりお前、またブラック?砂糖無しのコーヒーなんてただの黒い水だろ。飲めない飲料水なんて胸焼け以前の問題だ』
なんとなく気になって後ろを振り返ってみると、超進学校で有名な男子高校生が二人レジに並んでいる。
(うわあ……目立つ二人組みだなあ)
思わず目の前の二人に視線が集中してしまったのは、彼らの外見レベルが人並み外れて高かったせいだろう。
一人だけでも充分目立つけど、二人一緒にいることで更にお互いの容姿が引き立って見えるというか、対照的な感じだから余計に目を引く。例えるなら塩と砂糖だ。
柏の大好きなギュとシリーズを三つ手に持っている方(さっきの会話からして相当な甘党だと予想される)は、長身痩躯でハッと目を引くような正統派の美形だ。その隣にいる一回り身体の小さい方(多分、甘いものはそんなに好きじゃないっぽい)は、男子校の制服を着ていなければ一瞬性別が判断出来ないような中世的な顔立ちをしていて、その辺のアイドル顔負けのものすごく可愛い子だった。
(肌白いなあ……髪の毛とか超さらさらだけど、なんのシャンプー使ってんだろ)
まっすぐで癖のないストレートの髪にぼうっと見惚れていたら、そこへ物凄く自然な流れで綺麗な長い指が現れた。
(あ、れ……?)
ツンツン、と悪戯するように色素の薄い髪をその指が引っ張っている。引っ張られている当人は慣れているのか、それを止める素振りもなく平然とレジで支払いをしていた。
(ええっと?これはもしや、あれかな)
更に観察してみると、髪を引っ張っている長身の方の視線が、明らかにある種の熱っぽさを発しているのがわかる。
好きな子を一途に見つめる、恋する男の目だ。
同姓なのに恋人同士としかいいようのない甘い視線と行動も、この二人だと何の違和感もない。
ただし美形に限る、という言葉がポンと頭に思い浮かんだ。つまり美形は性別を超えて、何をしても絵になるということだ。
(容姿が優れていると、こういう利点があるんだな)
一連のやりとりに目が釘付けになっていると、視線に気づいたのか、チラリと後ろを振り返った背の高いイケメン君とバッチリ目があってしまった。
慌てて横を向くと、柏も慌てた様子で顔を不自然に天井に逸らしている。オレと同様、前の二人組みをガン見していたらしい。
「わ、わさび&納豆チョコレート、どんな味なのか楽しみだね、柏!!」
気まずさを誤魔化すために微妙に高めのテンションで話しかけると、柏もまたいつもより明るいトーンで元気良く返事を寄越す。
「……あっ、ですね!美味しいといいんですけど!!」
―――あはははは!とお互い笑顔でなんとなく意思疎通して、そそくさと冷蔵コーナーへ向かった。
店を出ると早速買ったばかりのスイーツの封を切って、再び歩き出す。
「お目当てのスイートポテト、売り切れで残念だったねー」
「俺達の前にいた人は買ってたから、きっとそれが最後の一個だったんですね」
「あ、柏も気づいてたんだ。背の高いほうのひとでしょ?」
「はい、しかも三種類全部買っててうらやましかったです。俺もスイートポテト食べたかったなあ……うわっ、まず!」
わさび&納豆チョコレートを齧った柏は眉を顰めてげほげほと咳き込んだ。
「あはは、大丈夫?やっぱりまずかったか」
「想像以上のまずさですよ、これ。失敗したなぁ。もう大人しくこっち食べときます」
一口で食べるのを断念して、今度はスイートポテトの代わりに買ったショコラを口直しに頬張っている。オレはその傍らでチーズケーキを堪能しながら、ふとさっきの二人組のことを柏に訊いてみたくなった。
(会話も聞いてたみたいだし……絶対気がついてるよね)
「柏、さっきコンビニであの二人見て、どう思った?」
「え?どうって……あの、なんかすごい目立ってましたよね。二人とも芸能人みたいで」
「いや、そういう意味じゃなくて。雰囲気で何となくわかったでしょ?多分あの二人、付き合ってるよね」
「ああ……そうですね」
そっちの意味か、と理解して頷く柏に、立ち止まって更に質問を投げかける。
「オレ達は、周りから見たらどんな感じなのかなあ?」
「……え」
「きっと、ただの先輩と後輩にしか見えないよね」
目を伏せて自嘲気味に零すと、柏は戸惑ったような声音でオレの名前を呼んだ。
「影山、先輩?」
「この前も訊いたけどさ……」
「あの……っ、」
何か言いたそうにしている柏の声を遮って、言葉を続ける。
「オレ達って、つき合ってるんだよね」
「は、はい」
「じゃあなんで……オレが部屋に誘っても、柏は来てくれないの?」
以前訊きそびれてしまった話を思いきって切り出してみると、ハッとしたように柏がオレを見た。
「え……っと、それは」
「オレのこと、本当はそういう意味で好きじゃない?」
心の奥に隠していた小さな不安をぶつける。
「違うんです!あの……そうじゃなくって……!」
柏はオレの言葉を即座に否定すると、困った顔をして理由を話し始めた。
「ええっと、その……へ、部屋だと、二人きりになるじゃないですか」
「うん、うち母親帰ってくるの遅いしね」
父親はオレが小学生の時に事故で他界しているし、一人っ子だから大抵いつも帰った時には誰もいない。
「だから……逆なんですよ」
「逆?」
「そういう意味で好きだから……二人きりだとすごく、意識しちゃう、っていうか……」
途切れ途切れになりながら必死で言葉を継いでいた柏は、追いつめられた犯人が突然白旗を揚げて悪事を白状するかのような勢いで、話を続ける。
「おおおお俺っ、相手の気持ちとか全然わかんないくせに、自分に都合のいい妄想して、変に盛り上がっちゃうことがあるんです!」
(妄想……って、一体なんの話だろ)
一生懸命説明してくれているのはわかるけど、何を伝えたいのかがさっぱりわからない。なかなか話の核心へ行こうとしない柏に、オレは根気よく続きを促した。
「そうなんだ。それってたとえば、どんな妄想?」
「たとえば……ちょっと抱きつかれただけで、俺に気があるのかなーとか考えて、痛い勘違いしちゃったり……」
「はぁ……」
その経験談のお相手って、もしかしてもしかしなくても、オレのことだよな、と一ヶ月前の出来事が脳裏にフラッシュバックする。
「だからそれで、つまり、」
「つまり?」
「部屋に誘われた時、先輩は別にそんなつもりじゃないのに、俺馬鹿だから、やっぱり変に期待しちゃいまして……ひ、ひとりで勝手に!」
「…………」
「それにテンパっちゃうと、考えるよりもまず先に行動に移しちゃう癖があって。た、たとえば」
今も相当テンパっているらしい柏は、まだ訊かれてもいないのに自ら率先して具体例を話し出した。
「抱きつかれて、衝動のままに相手の許可も無くキスしちゃって」
やっぱりこれは自分とのことを言ってるんだと確信する。
「しかも【癖】だから、半分無意識でやっちゃうんですよ」
「あのキスって、半分無意識だったんだ……」
「はい。だから先輩と二人きりだなんて、想像しただけで俺嬉しくて、ひとりで浮かれちゃって……そんな状態で実際、本当に二人きりになったら―――」
息も絶え絶えという様子で何とかそこまで言って一旦言葉を切ると、今度はあーっ!とか、うーっ!とかひとしきり唸っている。自分の中で何らかの葛藤があって、必死に戦っているらしい。何度も深呼吸をした柏はやっと覚悟を決めたらしく、続きを一思いに吐き出した。
「―――ふしだらなことを先輩にしてしまいそうで怖かったんです!」
「ふしだらなこと……」
オレが柏の言葉を復唱すると、とうとう我慢できなくなったといわんばかりに、茹蛸のように真っ赤になった顔を両の掌で覆ってしまった。
「……えーっと。それって要するに『二人きりになると手をだしちゃいそうで怖かったから』家に来るのを頑なに断ってたって、そういうこと?」
長々と頑張って語ってくれた理由を短くまとめて言うと、柏は両手を下ろして、悪戯が見つかった時の子供みたいな顔で頷いた。オレに怒られるとでも思ってるんだろうか。
(怒るわけないのになあ。むしろ喜んじゃうよ)
「……そうだったんだ。なんだもう、色々考えちゃったよ。あー心配して損した!」
こんなに晴れ晴れとした気持ちになったのは久しぶりだ。
薄暗くなってきた秋の空に向かって、大声で叫び出したいくらい気分爽快だった。
「しっ、下心満載ですみません……!」
そんなオレの心中などなにも知らない柏は、さっきまで赤かった顔を若干青くして見当違いの謝罪をしてくる。
「下心あるの?オレに。ふふっ、よかった。オレもあるよ、下心」
「えっ」
「オレもねえ、別に柏とのんびりお茶がしたくて家に誘ってたわけじゃないよ?誰にも邪魔されない所で普通の恋人同士みたいに、イチャイチャしたかっただけだから」
「ええっ!」
「下心満載なのはお互い様。だから、謝る必要なんてない」
驚きつつもホッと胸を撫で下ろした柏に、オレはにっこり笑って、言った。
「ところで今日ね、もの凄くタイミングいいことに、うちの母さん旅行に行ってて留守なんだよね……下心大歓迎だから、これから家にこない?」
「そそそ、それって……!」
赤面が盛大に復活した後輩の手を取って、返事を待たずに歩き出す。
「考えるよりもまず先に行動、でしょ?」
なかなか素敵な癖だよね―――そう言ったオレに、柏はとても嬉しそうな顔で笑った。
【HABIT2】END